プラネ製作記 「アストロライナーの誕生」

Chapter 5「パワーエレクトロニクスへの挑戦
スイッチング電源の開発」


スイッチング電源の開発

電源。電力を自在に操ること。それは私がプラネタリウムを作り始めたときから、常に私を悩ませ続けてきたテーマだった。電球の明るさを自在にコントロールし、モーターの回転を制御する。プラネタリウムの電装はまずこの電力制御につきるといってもいい。
  電源に関する細かい話になると、とうていプラネタリウムという本来のテーマとは一見関係のないように思われることと思う。けれども、あとで振り返ってみて、やはり避けては通れない部分なのだ。  電源回路の開発とその成果は、計り知れない非常に大きなプラス効果をもたらした。それは、恒星電球を明るく光らせるにとどまらない。私自身のエレクトロニクス技術と知識の進歩の原動力となり、その技術はモーター制御その他の部分に余すことなく応用できただ。そして、そこでつかんだ電子回路への直感は、パワー回路にとどまらず、アナログ、デジタルなどエレクトロニクスのあらゆる範囲で大きな力となるものだったのだ。エレクトロニクスは電源に始まるとよく言われるが、それを自分で実感できたのだ。
 しかし一方で、大きなマイナス効果−膨大な時間と労力の消費−もあったことは否めない。そして、その事は、この電源に当てはまることではない。このマイナス因子をあえて直視するとき、トップダウン的思考−計画全体のマネージメントと、それに基づく各部の取捨選択の重要さ、強く感じることができる。それは、しいてはモノ作り全般に広く通じることでもある。
そうしたわけで、私にとってあらゆる意味で大きな意味を持つ、電源のレポートを紹介したいと思う。

恒星球に搭載された350Wスイッチング電源

「電気」は苦手だった
「僕は電気は苦手!」大学に入る時までそう思いこんで、友人にも公言していた自分。「あんな複雑怪奇で、しかも一本の配線間違いが致命的になるようなものは、そそかしい自分にはとうていできっこない」けれどプラネタリウムを成功させるにはそんなことは言っていられなかった。何が何でも習得しなければならない必修科目だった。そして、最初は、豆電球の光らせ方にさえ苦労していた私が、スイッチングレギュレーターを開発するまでに成長することができた。苦手という根拠なき思いこみの愚かさを思う。
しかしその一方で、新技術を学び、あるいは開拓し、それを信頼性という物差しで測り実用レベルまで持っていくことの難しさを身を持って知った。

電源が欲しい
 小学生の頃、初めてピンホール式プラネタリウムを製作した時、光源の豆電球を点灯させるために初めて使ったのは乾電池だった。それは私が唯一扱える「電源装置」だった。 しかし、乾電池には消耗してしまうという問題がある。最初は明るく点灯していた電球が、次第に暗くなり、やがて消えてしまう。そうしたら再び新しい電池を買って来なければならない。お金もかかるし面倒だ。消耗を気にせずにずっと安定した電圧を維持できる電源があればいいのにと思った。
 コンセントから出ているAC100Vから電気を取れればいい。けれどもそのままつないだのでは、当然ながら電圧が高すぎて豆電球は一瞬で昇天してしまうだろう(実際にやってみた輩によれば、切れるだけでなく、ガラスの球が飛び散ってしまうそうだ。危険なので絶対にまねしてはダメ)。したがって、何らかの方法で電圧を落とす方法があればいいことになる。それが何か、だ。
 中学校に進んだ私は、理科や技術家庭の授業でトランス(変圧器)というものの存在を知った。二つのコイルを介して電圧を変えてくれる装置。これこそ望んでいたものだと実感した。出力は、電池と異なる交流だが、電球を灯すには問題ないだろうと思った。実際、100V用の普通の電球は交流で問題なく使えているからだ。
 そんなわけで学校の先生に尋ね、また職業別電話帳で入手方法を調べた。川崎駅近くの模型屋で売っていることがわかった。生田の自宅から、当時往復800円の電車賃を惜しんで、多摩川ぞいのサイクリングコースを通って買いに出かけたことを思い出す。当時の私にとって川崎は最大の資材調達の場で、よく自転車で買いにでかけたものだ。
 さて、入手したトランスを使って早速電球を灯してみた。トランスの入力端子を、おそるおそるコンセントつないだら、豆電球が点った。感動した。なんだか明るすぎる気もしたが、とにかく長年の宿願(?)がかなったのだ。これで電池の消耗を気にせず、いつでも同じ明るさで電球を灯すことができる。たったそれだけの事だったが、当時の私にとってそれは重大なことだった。電気知識がきわめて乏しかった私にとってはせいいっぱいだったのだ。

電球の明るさを変えたい
 高校に進学した私は、初めての本格機、今から呼ぶところの1号機の製作に取り組んだ。電源には、中学校で覚えたトランスを使うことにした。しかし、もうひとつの問題が待ちかまえていた。電球の明るさのコントロール「調光」だった。
 プラネタリウムで、いろいろな演出をしようと思ったら、恒星やほかの投影機を、ただ点けたり消したりするだけではだめだ。明るさをスムースに、連続的にコントロールしなければいけない。そのためには電球に供給する電圧を変えなければならない。しかしどうすればいいのだろうか?
 そこで私が目をつけたのが調光器だった。自宅の居間にはまさにそれがついていた。ボリュームひとつで電灯の明るさが自在に変わる。まさにこれがあればいいはずだ。しかし、問題は値段だった。普通に買うと、一台5千円近くもする高価なものだ。そして、プラネタリウムでは、恒星だけでなく、太陽、惑星、そして各色の照明など、調光したいチャンネルがたくさんある。それだけの数をそろえるにはとてもお金が足りない。なんとか安いものがないかと探し回った。2千円のものを見つけたがそれが限界だった。
 しかも、市販の調光器は100V用なので、これを使う場合、トランスの入力側に入れなければならない。しかしそうすると、トランスも調光器と同じ数だけ用意しなければならない。こちらのお金もかかる。しかもサイズも重量もかさんでしまう。
 なんとかならないだろうか?

可変抵抗器
 もっと簡単に、可変抵抗器を使って明るさを変えることはできないものか。しかし、中学時代に一度試みて失敗したことを思い出す。実習でラジオを組み立てたとき、その部品のボリウムを使って電球の明るさを変えてみようと試みた。しかし結果は惨敗だった。全く点きもしない。今思えば当然のことで、ラジオに使うカーボン抵抗では抵抗値が高すぎ、電球を直接点灯するような電流はとても流せないのだから。
 電気が苦手だった私も、高校受験を通してオームの法則は学んでいた(子どものころから理科は大の得意だったが、しかし電気だけは人並みかそれ以下、唯一最大の苦手分野だった)から、中学時代の失敗の原因は何となく察しがついていた。つまりもっと抵抗値の低い抵抗器があればうまくいくかもしれない。
 生まれて初めて秋葉原に出かけた。何度も夢に見た秋葉原。実際のところ、電車賃がなかなか工面できず、それまで秋葉原に出かけるのが至難だった。高校に通うようになり、新宿まで定期券で行けるようになって、やっと足を伸ばせるようになったのだ。
 屋台のように所狭しと並ぶ一坪パーツ屋。そこに並ぶおびただしい数と種類の電子部品。その殆どは、何に使うかすら分からない代物だ。圧倒されながらも抵抗器を探した。一件の店を見つけた。店の人に相談してみた。秋葉原パーツショップ特有の(?)不愛想な対応にたじろぎながらも、何とか使えそうなものを見つけることができた。ホーロー巻線抵抗。ラジオ用の炭素皮膜ではなく、ニクロム線を抵抗体に使っている。
 しかし、いろいろな抵抗値のものがある。どれにすればよいのか。店の人に相談しても「そんなことも知らないで買いにきてるのか」と言われてしまう始末。とりあえず良さそうなものを何個か買って試してみるしかない。一個500円。ばかにはならないが調光器具に比べると遙かに安い。これが使えれば何とかなりそうだ。希望の火が灯った。
 それにしても秋葉原とはなんて凄い所なんだろう。こと電気に関するものならどんな者でも手に入りそうだ。それらを使いこなせればどんなものでも作れてしまえそうだ。しかし、そのためには電気の知識がなければ話にならない。知識ある者のみが、その恩恵に浸ることのできる街。自分も電気をもっともっと勉強しよう。不愛想な店員にばかにされないようにしよう。そう心に決めたのだった。
 可変抵抗器で明るさのコントロールもでき、プラネタリウム1号機は無事に完成した。そして、そこで学んだ事柄は2号機にも受け継がれた。手元のコンソールに、配線を各チャンネルに分配し、モーターも操作できるようにした。エレクトロニクスではないが、エレクトリックではある。まがりなりにも、プラネタリウムらしいコントロールを一通りできるようになったのだ。

電子化へ。トランジスター調光器
可変抵抗器で制御することで目的は達成したが、そのうち、もうすこし電子的(?)な方法ができないかと考えるようになった。巻線抵抗器は、サイズが大きく、回すときの摩擦力が強い。ラジオのボリウムのように回転がスムースでなく、また明るさの変化もなめらかではない。そういう欠点が気になるにつれ、ラジオ用のボリウムに、増幅素子、トランジスターを使い、電流を増幅して実現できないか考えるようになった。高校の物理部の電気に詳しい後輩によく相談した。しかしできそうではあったが、具体的な手がかりまでは至らなかった。結局、思い描くだけで調光回路のトランジスター化の夢は途絶えてしまった。

いよいよ3号機
 高校を卒業し、3号機(ASTROLINER)の計画が始まった。ドーム径はこれまでの3メートルから一気に8メートルになり、しかもレンズ投影式だ。光源は、これまでの4ワットから、250ワットになる。何もかもが2号機までとは桁外れな3号機。1号機と2号機は兄弟のようなものだったが、まるで別格の3号機では、電気系統も全く異なる技術の上に立たねば完成できないことは、常々感じていた。電気、電子の入門書、解説書などを読みあさり、必死になって電気知識の向上に努めた時期でもあった。
 さて、最初は、100Vのハロゲンランプを使う計画だった。100Vなら、交流電源をそのまま使って点灯できるからだ。しかし、ランプメーカーのカタログで比較すると、同じワット数でも24Vタイプの方がかなり明るいことに気づいた。理由は、低電圧の方がフィラメントを太くでき、そのぶんフィラメント温度を上げやすくなるからだ。
24Vランプを使うには変圧手段が問題になる。数ワット程度ならトランスを使えば電圧変換は問題ない。しかし100ワット以上になると辛い。トランスが重くばか大きくなるからだ。しかも、投影機は2球式。2つ電球を使うと500ワットである。それだけの大容量のトランスといったら、十キロ以上の重さになってしまうのではないか。

超小型軽量!?電子トランス

スイッチング式とシリーズ式電源

シリーズ式電源では、AC100Vをトランスでまずだいたい必要な電圧に変換してから整流、直流化する。構成は単純だが、トランスは低周波で動作するため重くて大きい。一方、スイッチング電源では、AC100Vをそのまま整流して直流(DC140V)に変えた後、高周波インバータで50kHz以上の高周波交流に変換する。これをトランスで変圧して、再度整流、直流化する。高周波のためトランスが劇的にコンパクトになる。これがスイッチング電源が軽量であるゆえんだ。
 そんなことで悩んでいた時、大学の図書館で、おもしろい本を見つけた。電子回路の製作集で、その中にある電子トランスの作り方に目を引かれた。それは、普通の電源トランスよりも遙かに小型軽量で大電力の変換を可能とする回路の製作記事であった。まさに願っていたものそのものだったのだ。
 どうやってそんなことを実現するのか?その秘密は、一言でいえば周波数の違いにある。普通のトランスは、商用交流周波数すなわち50Hzないし60Hzの周波数で使う。しかし電子トランスでは、周波数をその数百倍。実に2万Hz(20kHz)で動作させるのだ。周波数が高くなるほどトランスは小さくできる。その理屈はいちおう知っていた。そして、その高い周波数を作るためにインバーター回路を使う。直流を交流に変換する回路である。 すなわち、入ってきた交流電源は、まずダイオードと電解コンデンサーの整流回路を通して直流に変換してしまう。次に、インバーター回路で高周波の交流に変換、これをトランスに通し、ふたたび整流する。すると、電圧が変換された直流出力が取り出せる。非常に小型軽量の回路でだ。数百ワットの回路でも、わずか数百グラム程度にできてしまえそうだ。これは夢のような話だ。
この本の記事によって、簡単なトランスの設計の理屈とパワートランジスターを使った高速電力スイッチングの方法を学んだ。パワートランジスタそのものは、ステッピングモーター駆動回路の製作を通じて、ちょっとは知っていた。そして簡単なものを作ってみることにした。秋葉原でフェライトのコアを買ってきて、設計した通りにエナメル線を巻いた。100回くらいだろうか。とりあえず手のひらに乗るような小さなトランスができた。こんなもので本当に大電力の変換ができるのだろうか。

2石式から1石式へ
この回路例では、2石プッシュプルとよぶ方式だった。理屈の上ではシンプルだが、その名の通り、二つのスイッチング素子が必要だ。回路としてはスマートでない。一方、トランジスターを1つで済ませる方式もある。代表的なものがフォワードコンバータとよぶ方法だ。電源の解説書を見ると、シンプルな上で高周波化が用意で、コンパクト化、高効率を達成しやすい、とある。その後、フォワードコンバータ方式を中心に考えていくことにした。

とりあえず失敗
 とりあえず回路をこしらえた。いきなり100Vで通電するのは怖いので、まずは12Vあたりでテストしてみることにした。負荷には豆電球。果たして、電球がかすかに灯った。動いているらしい・・けれども、どうも焦げくさい。そして、トランジスターが猛烈に熱を持っていることに気づいた。「やばい」電源を切った。
 とりあえずトランスが動作していることは分かったが、何かがおかしい。そのためにトランジスターが熱を持って壊れる寸前だった。まだ12Vだというのに・・こんなのにもし100Vをつないだら、一発昇天してしまうのではないか?
 それからいろいろな調査が始まった。何が問題なのか。製作記事そのものも鵜呑みにせず、いろいろな資料を漁ってみよう。スイッチング電源がまさしくこれと同じ原理で作られていることを知り、そのあたりの資料を重点的に調べた。雑誌に掲載されていたスイッチング電源の解説記事をひもといたが、それだけでは埒があかない。その筋の人にとってはバイブルとなるべき「スイッチングレギュレーター設計ノウハウ(長谷川 彰 著)」も買った。すると、とにかくいろいろな回路方式があることをまず知った。スイッチング素子の数とによる一石式、2石式の違い。そしてトランスの極性によるフォワードコンバータ、フライバックコンバータの違い。そして、中で出てくるおびただしい数式や理屈。励磁電流ってなに?リーケージインダクタンスとは?そして、参考回路図を見ると、いくつかの部品の役目は理解できたが、それ以外に、何のために付いているかわからない部品や付加回路がいくつもあり、それらがまた私を悩ませた。このダイオードはどういう役割をするのか?このコンデンサーは?それらをもっとかみ砕いて理解しなければ、先に進めない。いやはや大変な世界にはまりこんでしまったものだ。

長い勉強の道
 多くの電子技術者が苦手にあげるものとして、トランスやチョークなどの誘導部品をあげる。コイルはエンジニアにとっても得体の知れない怪物で、やっかい者なのだ。そして、パワー回路と誘導部品は切っても切り離せない関係にある。市販の電源装置をみると、いくつもの大小トランスやチョーク類が載っている。しかし、だいぶ向上してきたとはいえ、電気そのものの知識が危うい私にとっては険しい山だった。エナメル線をただ巻いただけの部品。しかしその不気味で不可解な性質を理解すべく、本と格闘する毎日が続いた。寝る間も惜しみ、大学の授業中(笑)、アルバイトの休憩時間。バイブルを何度も何度も読み、計算式を電卓で追い、その中で著者がいわんとしていることを読みとって理解しようと努めた。ポケットコンピュータのBASIC言語を使ってコイルやコンデンサー回路のシミュレーションソフトを作り、LC共振回路の動作を仮想的に実験してみた。抵抗を入れたらどうなるか?ダイオードを入れたら・・この試みはとても勉強になった。
 一方、測定器がないことも致命的だった。何しろ最初はオシロスコープを持っていなかったので、回路の中で何が起こっているのかさっぱりだったのだ。こんな状態で原因追究と対策ができようはずはない。大学の物理実験室の先生に頼んで、放課後にオシロスコープを何度か使わせて貰うことになった。波形をみると、めちゃめちゃに発振し、しかも高い電圧サージが出ていることがわかった。とにかくおかしい。しかしどうすればよくなるのか。それはまたテスターしかない自宅で取り組まねばならない。
 6万円の出費は大きいが、オシロスコープを購入した。絶対に不可欠だった。20MHz、2現象。入門機レベルだが、あるとないとでは大違い。そしてこのオシロこそが、私を成功へを導いてくれるのである。

炎上!
 とにかく、これで自宅の作業台で落ち着いて波形を観測しながらデバッグができる。トランスを何度もまき直しては通電し、動作をチェックすることが続いた。スイッチング回路には、誤動作を防ぐため、部品のストレスを軽減するために、原理的には存在しない追加部品がいろいろ必要だ。スナーバ回路、リップルフィルタなど。そういうものをとっかえひっかえしながらトライしつづけた。だが最初は遅々としてなかなか手応えが見えてこない。12Vでなんとか発熱は抑えられた。しかし100Vを入れると、一瞬部屋の明かりが暗くなり(!)、次の瞬間、トランジスターがものすごい音を立てて砕け散った。机の上で炎をあげて燃え出す基板。あわてて火を消した。なぜだろう。なぜなんだ!黒こげの基板からは、その原因の手がかりをはかり知ることすらできない。

パワーMOSFET登場
 スイッチング素子としてパワーMOSFETに目をつけたのもそのころだ。FETとは、電界効果トランジスター、つまりそれだけでは意味がよくわからないが、ふつうのものとは異なった原理に基づく新種のトランジスターである。それまで使っていたバイポーラ・トランジスターでは、スイッチオンするときはいいが、オフする時の応答が遅く、そのために逆バイアスという特別な駆動信号を与える必要があった。FETではそれが不要になるという。しかもスイッチング速度はバイポーラの10倍も高速である。高性能なデバイスでありながら、使い方は従来のものより楽だというのだ。
Power MOSFET
 パワーFETは、現在ではパワーデバイスとして広く普及し、価格も安くなっているが、当時はまだ特殊な部品だった。値段も高い。一個千円。壊れたときのために何個か予備を購入した。
 これが救世主になってくれるか。黒こげ事故のあと、気を取り直して回路を作り直し、それにパワーFETを載せる。これでうまくいくか?きっとうまくいくよ・・・しかし甘かった。またもや基板は燃えてふっとんだのだ。
 試行錯誤を繰り返し、なけなしのFETもあっと言う間になくなってしまった。また秋葉原に買いに行く・・何度繰り返したろうか。出費もだんだんかさんでくる。
けれど、本で学んだ理屈と、観測波形を照らし合わせながら現象をすこしずつ解明し、成功に一歩一歩近づけていった。余分を見越してトランスの巻数を大きく過剰にしていることも良くないことを知った。そして、1次側のデバッグを急ぐあまり、2次側回路を接続していない状態での通電がよくないことも気づいた。急ぎすぎたがためにかえって遠回りをしていたのである。
 そして、トランスの出力極性について大きな勘違い(逆に考えていた)ことに気づいたとき、一つ目の、そして恐らくは最大のブレークスルーがやってきた。
通電。動作波形を観測しながら出力をすこしずつ上げていった。ランプが次第に強く灯る。50%、70%、90%、そして100%。成功だ!
 ランプが、フル出力の白い光を放っていた。ついに、AC100V入力で、150ワットのハロゲンランプを点灯する実験に成功したのだ。発振周波数25kHz。フォワードコンバータ、手のひらサイズのトランスが、この強力なランプを光らせているのだ。波形も本で見たとおり、まずまずの形である。部品の発熱も正常範囲。ひとまず成功といえた。

信頼性の問題
しかし、その先には信頼性という、より大きな問題が待ち受けていた。この電源装置は、恒星球の内部に組み込まれることになる。したがって、一度取り付けてしまうと、滅多にとりはずすことができない。上映中、万一電源にトラブルが発生してしまうと、どうにもならなくなってしまうのだ。
恒星球の内部はスターランプの猛烈な熱のせいで温度が高い。スペースも限られている。動作環境としては過酷である。そういう状況下で、絶対に壊れない、万全の信頼性を持つものでなければ、とても実用することはできない。この電源の信頼性についてはシビアに考えなければならなかった。
 しかし、にもかかわらず、やっとの思いで成功した回路は、しかし何度かテストしている間にあっさり壊れてしまったのである。突如パワートランジスターが爆発し、基板のパターンに大電流が流れて赤熱し、跡形もなく壊れてしまった。異様なにおいの煙がもうもうとたちこめた。うまくいったと思った矢先だけにショックが大きかった。
 確かなところは定かではないが、通電直後のラッシュ電流が原因だったらしい。電源が起動するときには、コイルやコンデンサーの働きで、多少とも過渡的、つまり定常状態とは異なる動作をする。特に、大容量の電解コンデンサーを載せているため、非常に大きな充電電流が流れやすい。これをよく考えないと、回路部品が一瞬の大電流に耐えかねて昇天してしまうのだ。また、負荷のハロゲンランプも問題になる。タングステンフィラメントは、低温時の電気抵抗値が低く、点灯直後には非常に大きな電流が流れる。これも回路にダメージを与えることになる。
 その点はだいぶ早い時期から考えていたことなので、ソフトスタートという回路をつけていた。起動時はいきなりフル出力を出さず、0.5秒くらいかけてゆっくりと出力を上げてやるわけだ。これで回路のストレスは軽減されるはずだった。
 しかし、唯一の守りであるソフトスタート回路は、入力のオンオフのタイミングによってはうまく働かないことがあった。たとえば、前回電源を切って、その直後に再投入した場合など・・そのとき、負荷のコンデンサーの容量が抜けていて、大電流が流れやすい状態にあったりなど、悪条件が重なると、回路は破壊されてしまうのだ。
 最大の問題点は、保護回路がいっさいついていない点にあった。特に、過電流保護回路(OCP)がないことが致命的だった。万が一、出力端子がショートでもしようものなら、苦心して製作した回路は一瞬で破壊されてしまう。実用性を考えると、それではぜったいにだめだった。
 幸い、次に製作した回路の制御IC(uPC1094)には、OCPの機能が備わっていた。したがって、一次回路に電流検出回路を挿入し、OCP入力に接続すれば、保護がかかるはずだった。CT(カレント・トランス)を設計し、これを一次回路に挿入した。当時、だいたいトランスの設計ができるようになっていた。
これで、通電しながらいくつもの負荷(ランプ)をすこしずつ接続し、負荷を重くしていく方法で過電流保護の回路動作を確認した。保護電流のスレショルドを調整し、保護がかかることを確認した。なんとか過電流保護回路がついたわけだ。しかし、気になることは、どうにも保護時の動作が不安定なことだった。もともとイレギュラーな状態だからこんなものなのかもしれないが・・。
そして、過電流保護回路にとって最も過酷な、けれども克服しなければならないテストを決行することにした。短絡テストである。フル出力を出しながら、いきなり出力端子をショートしてしまうのだ。これで壊れなければOKだ。
負荷にリード線をつないでショート。バチッという音がした。出力が止まってしまった。壊れてしまったのだ。幸い、壊れたのは一次側のFETだけだった。交換して再トライ。しかし結果は同じだった。ゆっくりとした過負荷からはなんとか守っても、急激な短絡からは、回路を守りきることができなかったのだ。
このままではプラネタリウムに搭載するわけにはいかなかった。おそらく市販のスイッチング電源装置も克服しているであろうOCPの問題。そして、ひとたび搭載したらめったに取り外すことのできない状況。ぜったいになんとかしなければならなかった。

マグアンプ制御
 ASTROINERは、最初モリソンタイプの予定だった。恒星球の外側に惑星投影機棚がつくというものだ。この方式はタンベルタイプ(ツアイス式)に比べ、重い恒星球が回転中心に近づくという点で機構的には優れているが、ひとつだけ難点がある。それは、南北両極星野は惑星棚の陰になって投影できないために、その部分だけ別投影機をつけて補わねばならないことだった。つまり、光源は片側に2つ要るのである。

アモルファス磁心を使用したマグアンプ(東芝MAコア)

そのため、電源回路にはマルチ出力化(2出力)が必要だった。極星野用の光源は電源電圧が12V。メインのそれとは異なるのである。共用ができないのだ。
マルチ出力については、最初から考えていたが、最初は大した問題でないと思っていた。しかし、負荷変動を考え、両方の電圧を常に安定化させるためには、思ったよりやっかいな問題があることがわかった。クロスレギュレーションの問題だ。
 スイッチング電源では、出力電圧を常に監視して、基準電圧と比較、誤差増幅器で比較して、常に正しい電圧が出力されるようにインバータ回路の出力を制御している。単出力の場合は全く問題ない。しかし複数出力となると話は面倒になる。安定化のため、あるひとつの出力をモニターすると、もう片方の安定性は保てなくなる。特に、安定化のモニターをしている側で負荷変動が起こると、一次側インバータを共有している別の出力にも干渉してしまうのだ。これがクロスレギュレーションで、マルチ出力電源の最もやっかいな問題だった。
 しかもプラネタリウムの場合、ランプの調光のため、出力電力はゼロからフルまで変化する。クロスレギュレーションが非常に起こりやすい条件なのだ。何らかの対策をしないと、上映中、極星野とほかの部分で明るさが食い違うというおかしな現象が起こってしまう。
 この問題を解決する最も確実な方法は、一つのメイントランスから複数の出力を採るのをやめ、インバータも複数用意するものだ。しかしこれは回路部品が増え、サイズを大きく増大させるので好ましくない。
それができないとなると、あとは出力チャンネルごとに個別制御回路をもうけるしかない。チョッパー回路をつけることも考えたが、より小型で部品数を低減化できる磁気増幅器(マグアンプ)方式に目をつけた。これは、容易にある磁束密度まではインダクタンス(L)が非常に高いが、磁気飽和すると急激にLを失う、特殊な磁気飽和特性を持ったインダクターの性質をうまく使ったものだ。磁気飽和と非飽和の間の大きなインピーダンスの差を、スイッチ代わりに使ってしまおうという手なのだ。もともと商用交流の世界で、サイリスターが普及する前によく使われていた技術らしいが、うまいことを考える人がいるものである。
磁気増幅器は見かけはトロイダルの普通のチョークコイルだが、コア材質が違う。フェライトやダスト(金属酸化物焼結)ではなく、Co(コバルト)基アモルファスの薄いテープを巻いたものが材料である。磁気特性はメーカーから提供されている。この特性をモデル化して、pc9801でマグアンプ制御のシミュレーションを試みた。しかし、あまり芳しくはなかった。東芝からアモルファスコアをいくつか購入してテストを開始することにした。
まずは、マグアンプの動作をよく理解するため、本回路とは別に実験回路を作って徹底的に動作を調べてみることにした。50ワットの非安定型フォワードコンバータを試作し、その出力をマグアンプで安定化することを試みた。コアメーカーの提供するテクニカルノートを参考に作った回路で、問題なく安定化動作ができた。その状態で、各部の動作波形を観測した。本で読んでいるだけでは分からなかったマグアンプの動作がだいぶ解明されれた。

偶然の出会い。願ってもないアルバイト
 折しも、プラネタリウム製作に専念するため、アルバイト先を探している時だった。駅の売店で買ったアルバイト情報誌。ぺらぺらめくっていくうちに、一つの募集広告に目が止まった。スイッチング電源メーカーが修理のアルバイトを募集していた。
この会社名は秋葉原で目にしてよく知っている。そして、修理となれば、当然技術的なノウハウを得るチャンスもあるかもしれない。願っても臨むべくもなかったプロの現場を見られるかもしれないのだ。しかも、資金稼ぎと両立できるとなれば一石二鳥だ。
 こうして、アルバイトを始めることにした。自宅から遠いのがつらいところではあったが、何の苦にもなりはしなかった。その中で早速修理の仕事を始めることにした。
社内では、個人の学生のくせに妙に電源に興味を持つ私に、最初奇異な目も向けられた。けれど、事情を話したら、好意的に協力してくれるようになった。仕事は楽しかった。破損した電源ユニットの故障個所を突き止め、部品を交換し、再テストをする仕事だった。オシロスコープで波形を観測しながら、次々と製品をなおしていった。とにかくいろいろ勉強にもなる。時間は流れるようにすぎていった。
 私が入った修理は製造部門の一角だったが、やはり、一番興味があるのは開発設計をしている技術部だった。そここそ、まさに電源ノウハウの宝庫なのだ。しかし、技術部は他の部門よりも出入りチェックがシビアで、アルバイトが勝手に出入りすることができない。 しかしある日、代替部品の問い合わせで技術部におじゃまするチャンスができたのだ。
初めて入ったそこは、雑然とした(失礼)実験室だった。しかしおびただしい数の測定器や器材。そして実験中の基板、ジグ。どれもが興味を引く物ばかり。そこで、とりあえず修理の用件について相談した。設計者の方は、見慣れないアルバイトの私に親切に答えてくれた。アルバイトなのによく知ってるねと言ってくれ、少し話しているうちに、すっかり興味をもってくださった。こうして技術部の方といろいろ話をできるきっかけがつかめた。それから、業務終了後に頻繁に技術部に出入りするようになった。よそ者の私に、とても親切にしてくれた。忌憚なくいろいろなことを教えてくださった。
しかし問題がないわけではなかった。業務時間外とはいえ、正社員でないアルバイトが勝手に技術部に出入りするのはどうかという話が持ち上がったらしい。担当者がOKしてくれているのに、なぜそんな話が、とも思ったが、会社組織である限り、けじめは必要なのだ。いろいろ悶着したが、しかしなんと社長さん自らが動いてくださり、結局「無給実習生」という特別な形で、その後も出入りを公然と認められるようになった。そして、製作レポートを提出することを条件に、社内の部品や器材を使うことまで許されたのだ。なんと願ったりかなったりなのだろうか。
やがて、アルバイトの仕事そのものも技術部に異動になった。主な仕事は設計開発者のサポート。実験や試作器の組立、評価などなど。いろいろなことをやらせてもらった。夜遅くまで残り、仕事に明け暮れる毎日が続いた。

無給実習生
さて、業務終了後は、無給実習生として自分の回路の研究に入った。まずは過電流保護回路の問題を駆逐することに最大の力点を置いた。技術の人に、制御ICを換えるように勧められた。NECのuPC1094から、三菱のM51995に換えた。周波数スイープ動作により、過電流保護回路の動作が見違えて安定した。電流検出回路のフィルターなども工夫した。  次に私を悩ませたのはマグアンプ制御だった。当初、私は総ての出力をマグアンプで制御するフル・マグアンプコンバータ方式で考えていた。しかし、小出力の実験回路では問題のなかったマグアンプが、200ワット以上の大出力になるといろいろな問題を引き起こした。ヒステリシス損失によるコアの発熱。そしてコア温度が上昇すると、磁気特性が悪化し、制御可能な位相角(VT積)が狭まり、安定化ができなくなった。制御回路がフリーランの状態となり、マグアンプの駆動回路が加熱破損するトラブルも発生した。
マグアンプの寄生インダクタンスも大きな問題となった。磁気飽和するとインダクタンスはゼロに近くなるが、完全にゼロにはならない。わずかなLでも、大電流が流れる回路では蓄積エネルギーはかなりの値になる。それが回路の発熱を引きおこし、また一次側のスイッチングトランジスターに印可される電圧を増大させた。軽負荷では問題ないが、負荷電流をとると、しばしば耐圧ぎりぎりまで跳ね上がった。安全性からみて、あまり好ましいとはいえなかった。
マグアンプの寄生Lにチャージされた電流エネルギーをなんとか負荷側、あるいは入力側に回生して再利用することを試みた。マグアンプに補助回生巻線をもうけて、高速ダイオードを介してバイパスラインに接続した。しかしあまり芳しい効果はなかった。一方、マグアンプそのものをできるだけ小さくするように、あらかじめインバータでできるだけ安定化動作を行うことも試みた。セミ・フルマグアンプ制御と呼んだその方式はしかし、制御系のループがめちゃめちゃになり、とても安定動作しなかった。また、回路が異常に複雑化することになった。
こうしたことを試みた末、私が最後に下した決断は、フルマグアンプ方式を断念し、メイン出力(スターランプ)は通常のフォワードコンバータ、そしてサブ出力(極星野)のみマグアンプで安定化するというものだ。クロスレギュレーションの心配が残るが、回路設計を入念にすることで最小限に押さえられるはずだ。少なくとも実用上は問題ないレベルにできると判断した。

いろいろな事を学んで・・
私がこの会社学んだことは図りしれない。それは、最初ひそかに期待していた回路技術にとどまらず、物の作り方、仕事の進め方、作業の仕方、評価の仕方、そして考え方・・プロの仕事がどのように進められ、製品のクオリティを維持できているかを学ぶことができたのだ。それは、回路設計から配線の束ね方一つまで及んだ。すべてが、私のそれまでのアマチュアライクだった作業、考え方に影響を与えたのだ。
この会社でいろいろな助力があって、初めて、私の電源装置はまともに使用できるレベルまで成長していった。保護回路の問題も解決した。最初はあまり省みなかった−しかし重要なファクタであるノイズ対策もできた。マグアンプ方式をサブ出力に限定しつつ、定数調整でクロスレギュレーションの問題もほとんどなくなった。そして、私が個人的に培ってきた回路シミュレーション手法、新しく考案した付加回路(フライバックスナーバ)と組み合わせ、ついに変換効率90%、最大出力350ワットのプラネタリウム用スイッチング式電源ユニットが完成したのだった。すべての負荷テスト、エージングテスト(多環境下連続動作試験)をパスした。磨き抜かれた2台の電源装置は、万全の信頼性を備えていた。そして、折しも組みあがりつつあるプラネタリウムASTROLINER投影機に無事、搭載された。90年冬のことだ。

無事活躍した
 苦心の結晶である電源を搭載したプラネタリウム3号機ASTROLINERは、91年11月に完成、習志野日大の体育館で初公開を果たした。初公開を含め、全国各地で計11回の公開を果たした。その間、電源は何のトラブルもなく正常に働き続けた。そして98年に後継の4号機MEGASTARに引き継がれるまでの間、確かにその役割を100点満点で全うしたのだ。低電圧ランプの投げる白い光は、ASTROLINERの星空をより鮮明に見せることに成功した。それは、まさしく恒星球の心臓、電源装置の完璧な働きがあったからにほかならない。