初公開奮闘編

1991年・夏

 4年以上前にプラネタリウム3号機、アストロライナーの構想を始めて以来、ずっと水面下の製作作業を続けてきた。いつか絶対完成させて公開するという、ただそのためにだ。
 今年に入ると、ようやくプラネタリウムらしい形をし始め、しだいに各種の部品が取り付けられていった。
 今年の夏はなかった。大学の必修科目である生産実習(生産現場の生の感覚を養うため、短期間どこかのメーカーにでっち奉公させられる。まあ、うちの学部が他に誇れるいい制度だと僕は思う)と夏の課題に挟まれ、次第に厳しくなってくるスケジュールに焦りが募るばかりだった。9月に入るとすぐに前期試験があった。結果はどうであれこれをとにかく終えると、あとは実験や製図など必修の主立った学科目を除きロクに大学にも行かないありさま。単位がとれるか心配。みるみるなくなってゆく時間との勝負。泣いても笑っても11月2、3、4日にすべてが決まる。そう、その日こそ、初舞台は日大生産工学部の学園祭「泉祭」なのだ。そして、それまでいよいよ1週間と迫った。

1週間ほど前

川崎市の自宅で組立中のアストロライナープロジェクター

7畳の”ふつうの部屋”の中でこのプラネタリウムは
産声をあげました。(91年9月ごろ)
 プラネタリウムは自宅で組み立てていた。僕の部屋は7畳。日本の住宅事情を考えればこんな自分の部屋があるだけ上等だが、ベッドや本棚、机があって、そこにプラネタリウムやコンソールなどが居座ると本当に狭い。この部屋は生活するための「部屋」であって、「工場」ではないのだ。
 本体投影機はモーターなども取り付けられ、基本的な機能は出来上がっていた。セミオートモード(コンピュータ支援による半自動操作)の作動試験をするためにコンピュータと始めて連動させてみた頃だ。本当は丸いドームに投影して実験したいがそんなわけにはいかないわけで、実物投影はぶっつけ本番、今は四角くて狭い自分の部屋の壁をドームスクリーンの代用にした。壁に太陽が沈んで行くと自然に夕焼けが灯り、辺りが暗くなって星空が現れる。四角い部屋だから興ざめだが、とにかく成功、うまくいった。早く本物のドームに投影してみたいなあ、などと実際の様子を思い描きつつ・・・。どんなにかすばらしいだろう。
 そのときまだ薄明投影機は完成していなかった。それに、水平線照明灯、ブライトスターができていなかった。地平線下遮光シャッターも、北側用のベアリングがまだなくて取り付けていなかった。どれも技術的にはさして難しい部分ではないが、数が多かったりして何かと作業に手間がかかる頭の痛いところばかりだ。シャッターに使う部品(ベアリング)の買い忘れのために時間を損した。


5日ほど前

 ブライトスター(明るい星だけ単独に投影する装置)投影機の組み立てに入った。投影機のマウントは既に、大学の実習工場の先生に頼んで作ってもらったものがあった。ただし切削油でべたべたなので、アセトン(溶剤の一種)の缶にそのままほうり込んでシェイクして洗い落とした。そしてスプレー塗装。時間をケチったためか一部塗装の汚いものになってしまった。でもかまっているヒマはない。レンズを組み付ける。そして問題なのがブライトスター原板だった。少しでも透過率を稼ぎたいためにリスフィルムはなるだけ使いたくなく、時間はないけれどアルミを蒸着したガラス円板にエッチングで穴をあけるようにした。蒸着した材料はすでに届いていた。フォトレジストを塗って、オーブンで焼き、リスフィルムで作ったマスクを重ねて水銀灯で露光し、苛性ソーダで現像し、リン酸と硝酸と酢酸で作ったエッチ液で溶かすと中央に小さい穴があく。あせりもあって何枚も無駄にした。
 これをマウントに組み込み、電球を取り付けると像が出る。ピントは固定焦点なのでマウント最初の設計が間違っていると、これを作り直すしかない。精密な実験はやっておらず、コンピュータでやっていた光線追跡(怪しげな自作プログラム)が正しいかだけが頼りだった。壁に奇麗に像が出たときは本当にほっとした。それにしてもなんとアブナイ橋を渡っていることか。
 ベアリングが手に入り、早速やり残していた北半球への取り付けに入った。ヤスリがけ、ネジどめなど単調な作業が続く。こんな切羽つまった状況でも一緒に作業する仲間がいたりしたらどんなにか心強く、また楽しかったろう。5年前、文化祭出展直前はクラブ仲間といっしょだった日大二高当時の1号機や、2号機が懐かしく思い出される。なのに今回のなんと孤独なことだろう。まあ自分で始めてここまで作った以上、自力で最後までやりとげねば。とにかく手だけは動いていた。

2日ほど前

当時の太陽&薄明投影機(上)と
薄明投影機を点灯させたところ(下)

コンピュータ制御の太陽投影機の水平回転部の上に、
薄明(朝焼け夕焼け)投影機が相乗りする独特のスタイル
だ。従来のプラネタリウムで朝焼けと夕焼けの2つを
必要としていた投影機がひとつになった。
真ん中付近に見える目玉のようなものが太陽投影機のレンズ

右側の少し傾いている箱が薄明投影機
(Photo:天文誌SKYWATCHER)

 薄明投影機のスライドは顕微鏡に使うプレパラートグラス。これに赤、だいだいなどの色をつけ、投影機に組み込んだ、地平線の下に薄明が出ないようにする遮光円板を作って各段取り付け、塗装した。太陽投影機の水平回転部にこれを載せるのだが、載せ方をどうするか。あり合わせのアルミ板で渡し板を作り、これに長ネジでフォーク支持することに急きょ決めた。新しい考えが出るたびに必要になる部品がある。往復3時間の秋葉原に何度も買い出しに行くのは時間の無駄だ。部品を買ってきて加工して組み立てた。太陽投影機そのものの設置法はどうするか。本来ならば本体投影機からアームを延ばして取り付けるはずだったが、もうそんな時間がない。とりあえず安易な方法、カメラ三脚に載せる方法を考えついた。ただしカメラネジが見当たらない。買いにいってもみつからない。途方に暮れ、結局自分の天体望遠鏡(12,5cm反赤)のサブスコープ台座を強引に外してヤスリで削ってしまい、これを使ってすました。とにかくどこもかしこも綿密に設計していたなんて昔話。こうなってはすべてカン、フリーハンド。「動けばいい」の世界である。
 投影解説の練習もしなければと思いつつ、こちらにはあまり時間が回らなかった。とりあえずオープニングのせりふなどをいろいろ考えて何かと口づさんで練習がわりにした。高校時代は練習は一切せずアドリブで通したし、まあこちらのほうは何とかなると思った。西川さんはみっちり練習やってくれているだろうなどと期待しつつ。眠気ざましにコーヒーをがぶがぶ飲んだ。でも今にして思うと、ユンケルのほうが良かったかな。値段高いけど。


準備日前日

 ついに前日。明日の朝には内野君が軽トラックで来て、運び出しをするのが明日なのである。いよいよ年貢の納め時である。今晩頑張れば何とかなるかなと思っていた時トラブル発生。ブライトスターを全部点灯させた時だった。ブライトスター用トラッキング電源(自作の小型スイッチング電源)からキーンと異常音。どうしたことか。メイントランスが異常発振を起こしているらしい。出力端子にコンデンサをつけたりやってみたがまるで変化なし。ついにばらして調べるはめに。波形を追っかけてもなかなか原因がつかめない。何度も取り付けてはばらすことを繰りかえし、やっと過電流保護回路がわるさをしていることを突き止め、何とか一件落着。しかしこのごに及んでこの時間のロスは大きな痛手だった。北半球のシャッターカバーを取り付け、地平線照明灯を接続し、点灯を確認した。コンソールで一通りデモ運転。太陽もとりあえず正常に動いている。こうして夜は更けていった。


準備日

 ほとんど寝ていなかった。一時布団に横に成ったと思ったらすでに深い眠りの底。母の起こす声に何とか目を覚ます。内野君が軽トラで来たという。そうだもうこんな時間か。時刻は午前9時前。寝床で頭がボーとしている前にもじゃもじゃ頭の内野君が立っている。
 「センパイ何やってんだよ」 相変わらずすっとんきょうな奴である。とにかくプラネタリウムは一通りできている(と思う)。とにかく機材を運びだしにかかる。コンソール、太陽投影機、その他もろもろを運びだして、問題なのが本体投影機の運びだし。重さ80キロのごつい機械を、幅1mもない狭い急な階段を降ろさねばならない。それも男二人だけで。体格の大きい僕は当然下側で投影機の重量を支える。階段にさしかかると早くもアバラ骨に機械の重量が食い込んで来る。とにかく凄い重さ。なんでコイツこんなに重いんだ! もっと軽く作ればよかったと思う。急勾配をゆっくり降ろすが、とにかく痛い。水銀の入っている銀河投影機を壁にぶつけてはならない。はずしておけばよかったと思うがもう遅い。それどころではない。壁に何カ所もへこみを作り、何とか一階の玄関に降ろすことができた。
 玄関の表の階段を降ろすのは、幅が広いぶん楽だった。母も力ぞえして最後のひとふんばり。無事玄関の表にでた機械をトラックの荷台にのせることができた。あとは、いろいろもってきて積んでゆくだけだ。
 しかし何ともって行くものの多いこと。コンソールはもちろん。太陽投影機に三脚。ケーブル各種。それにパソコンにディスプレイ、ハードディスク、アンプ、スピーカー、CDプレーヤ、そしてトラブルが起こった時のためのオシロスコープ、工具類、小物部品、着替え、書類、そして何かと使いそうなワープロなどなど。まああるわあるわ、まるで引っ越しである。トラックの荷台はついに満配になってしまった。道ゆく通行人は何事だろうかとこちらを見ている。小雨がぱらついていたので水ぬれが気になる。大きなシートをかぶせてみると、今度は過激派のトラックみたいに異様だ。道路走っていてパトカーに追いかけられたりしないだろうかなどとあらぬ心配をする。まあいい。とにかく僕の部屋に戻ると、驚くほどがらりと広い。主だったものはすべて運び去った感がある。やっぱり引っ越しである。
 
 

出発

 まだ早朝のつもりが、実は時刻がとっくに昼をすぎていることに驚く。徹夜続きで頭の働きが弱く、時間の観念が薄い。ああなんということだろう。忘れたものはないか。ぼーっとしているだけに自信などなかったがとにかく急いで出発だ。
 トラックで出発。ここ川崎の生田から千葉の津田沼まで。車が走りだすと気になるのが荷台の上のこと。がたがたゆれているが大丈夫だろうか。地平線下シャッターがゆらゆらゆれて時折かぽーんと音を立てている。がたがたがたがた。何か不安。とっても不安。こんなんで本当に星が映るの? もうどうにでもなれ。
 高速道路の渋滞はひときわひどかった。首都高の渋滞の多さは承知の上だが、今日はいつもとは違う。どこかで大きな工事をしているのか。それとも大きなイベントか、それとも事故か。青空駐車場状態。何とか降りて一般道へ。少しは流れているがやはり渋滞。まずは新宿でスライドフィルムを受け取らねばならない。それから再び高速道路に入る。内野君も眠いらしく、口数も少ない。また渋滞。一般道は道に迷うかも知れないと、内野君は高速でゆくという。延々と続く「青空駐車場」。湾岸習志野インターを出たときすでに日が落ちてあたりは既に暗かった。こいつはまずいことになってきた。

会場に到着。けれどもう夜・・

 道に少し迷いつつ会場である生産工学部についたのはなんと午後6時半。車両乗入れ時限を過ぎていた。とにかく頼んで中に入れてもらった。会場の体育館の前に止めて、一段落。荷物を降ろしにかかる。やはりメインは投影機。さて降ろそうとしているところに渡辺さんがやってきた。元、天文同行会『スタークルー』の仲間である。渡辺さんも手伝って体育館の中に入ると、岡本君と金沢君が来ていて(というよりすでに待ちに待っていて)、彼らはドームの膨らましに入っていた。内野君は疲れていたので寝かしてやり、3人で二階講堂まで運びあげた。一人増えると遥かに楽だ。投影機は体育館講堂に到着した。ついにここまできてしまったという感じで、だだっぴろい体育館の中で白いプラネタリウムが鎮座している。プラネもだだっぴろい見慣れぬ場所にとまどっているようだ。僕にはそんなふうに見える。
 あとの残りを数往復してすべて運びあげた。やっと一段落。しかし、到着が遅れてしまっていることの連絡(お詫び)、机椅子などの備品を借りること、などの用から、実行委員会室にゆく。金沢君は理工学部の自分のサークルも参加しなければならないからとすでにいない。時間を作ってわざわざ来てくれていたのだ。渡辺さんも用があって一時帰宅。あとで妹を連れてくるとか言ってた。巨大ドームのお守りは岡本君一人ではつらいだろうと思ったがドームをまかせて実行委員会へ。
 
 

公開まであと半日。これから準備開始!

 実行委員に、到着が遅れた事を告げ、机椅子がまだ手配できるかを聞く。しかし時限はとうにすぎていて、借りられるかは持ち出しする部屋の様子次第で約束できないという。まずは教卓。とにかくそこへいってみる。何とかなりそうだし、エレベーターも動いている。しかし何とバカでかいこと。教卓とはこんなに大きなものだったのか。知らなかったよーなどというと、普段、いかに授業に出ていないかを暴露するみたいだが、教卓なんて普段意識して見ないから忘れちゃってるわけだ(言い訳)。こんなすごいもの一人で運びだすのは非常識だが、とにかくやるっきゃない。その部屋にいた人に「教卓借りていきます」と一言残して運び出す。しかし、そこにいた人たち、巨大な教卓をたった一人で運び出すムチャな男をびっくりして見送ってたナ。まあ車輪がついているので平らな所は楽。だがエレベーターに乗せるのが地獄。ゆっくりと立てて、滑らせて何とか押し込んだ。
 とにかく1階に降ろし、再び横にしたとき力が加わって脚の1本が曲がってしまった。これはヤバイ。これを体育館までもって行くのはいささか難儀だ。とにかくここにおいておいて、応援を呼ぶより仕方がない。岡本君に来てもらい、2人で体育館の1階まで運びこんだ。2階に運ぶのは今の人数では無理だ。翌日早朝、西川さんとかが来たときにしよう。
 ドームを膨らますのはやっぱり岡本君一人ではきつかった。でもまだ体育館に戻るわけにはゆかない。今度は机だ。実行委員に机を出してもらって、それを運んでいった。けっこう外は寒くて、手がかじかむような北風が吹いていた。
 ドームは二人で押えてなんとか膨らみ始めた。エアドーム展張で難しいのは膨らみはじめだ。ある程度膨らんできて、バラスト(安定用のおもり)を付けてしまえばあとは大体ok。自然に膨らんでくれる。ただし入り口がまだできていない。これは2重エアロック式で、角材を組んだ骨格にビニールをかぶせてファスナーで開閉するものだ。骨格はできていて、やらなければならないのはビニールのつなぎ合わせ。大変な作業ではないが、手間を食う。時刻午後9時ごろ。骨格の組み上げは岡本君に任せ、僕はビニールシートのつなぎ合わせに入っていた。ビニールは幅180センチで、これを横につなげて360センチとし、これをぐるりとまるめてチューブ状にし、片端はファスナーでドームの入り口に接続、もう片端にはファスナー開閉できる入り口シートでふさぐ。僕は、大体のやり方を教えてビニールの方を渡辺さん達に任せて、岡本君の骨格の組み立てに加わった。
 骨格が組み上がるのと大体タイミングを同うして、ビニールのつなぎ合わせも終わった。そこで骨格にかぶせようとした時、戦慄が走った。かぶさらない!
 これは渡辺さん姉妹のミスではない。僕の計算ミスだった。計算というより、ドーム側のファスナーの取り付け形状を誤認していたのだ。だから寸法が大きく狂ってしまっていた。どうするか。今からビニールを剥がしてつなぎ合わせるには時間がないし、せっかくやってくれた渡辺さんさんにも申しわけないというもの。そこで、骨格の内側に吊るという案が出され、早速作業に取りかかった。そのうち内野君も起きてきて、作業に加わった。さらに、サークルの先輩の友人の荻野さん(院生。スタークルーの笛木さんのマブ友)も来てくれた。人数が増えて作業が軌道に乗り始めたので、僕はドーム作業を離脱して投影機のチェックをすることにした。ドームができても肝心の投影機が動かなければ『仏作って魂入れず』だ。「大仏殿」はできている。動いてくれ大仏!でも長時間の運搬で振動にされされたこの大仏、いささか不安がなかったでもない。
 ドーム担当の方では、だだっぴろい体育館のどこにドームを据えるかでちょっと議論になっていた。膨らんでから場所の議論とは妙な話のようだが、半開放型のエアードームは膨らんでしまうとちょうどホバークラフトみたいな浮力を生じて軽くなり、一人の力でどこへでも動かせるのだ。ということで、彼らが話していたのは、ドームは体育館の中央においた方がレイアウトとしていいのではないかということだ。僕自身としてはあまりそのことにはこだわっていなかった。ならばコンセントに近い壁際の方がかんたんだからいいだろうということで壁際で膨らましたのだ。
 肝心のコードの長さが足りない。隅に置いてコンセントから最短距離に配線したとしてもだ。買いにゆくにも、夜遅いし、コンビニで買っても割高だ。投資はしかたないと話していたところで、荻野さんが自分の研究室にいいのがあるかもしれないと出て行った。電気工学科の人なのだ。
 とにかく入り口の吊り下げ、密封作業に入っていた。投影機はとりあえずドームの外で軽く動かしてみて異常はなかった。そこで本体投影機はドームの中に入れてしまうことにした。岡本君たちが、仮設した入り口から投影機を中に運びこみにかかっていた。そのとき荻野さんが何とコードリールを持って帰ってきた。これは心強い。これだけあればどこにでも据え付けられるが、入り口もある程度とりつけてしまっているし、強いて動かすこともないだろうということで結局位置は最初のままにした。
 僕の方は、太陽投影機の作動チェックに入ることにした。ドームの外で、コンピュータとコンソールを接続して、次に太陽投影機を接続する。それぞれ電源を入れて、ソフトを立ちあげ、少し動かしてみた。「ウイーンウイーン」太陽の水平、上下偏向軸が動いている。うん、大丈夫そう、だ・・な、あれ?
 
 

トラブル発生

 様子がおかしい。コンピュータの画面を見ると目が点になった。コンソールからコンピュータに取り込むデータ線が誤動作している。緯度だけ動かしても、経度その他の値が同時に動いてしまうのだ。コンソールからの4つのデータをコンピュータが識別できないらしい。このごに及んでそりゃないよ。
 今から思えば、冷静に考えれば、この症状からして原因箇所は論理的に特定できたはずなのだ。しかし寝不足で頭の働きが鈍くなっていたのだろう、そこまで気がいかなかった。できればご厄介にはなりたくなかった、けれど持ってきて良かったオシロスコープ。これで波形を追っかけてゆくイヤな作業が始まった。しかしいまだまだこれから。制御系の泥沼への第一歩なのである。
 さて、泥沼にはまる僕を後目に入り口の方はおよそ出来上がってきたようだ。時計をみると既に11時を回っている。退出時限は午前0時。タイムリミットは迫っていた。

岡本君の部屋で徹夜の修理

 結局ドームはだいたい良いけれど、電気系統の誤作動の原因はつかめぬまま退出時限を迎えることになった。岡本君のアパートが柏にある。車で1時間弱ほどの距離だ。僕は岡本君の下宿に泊まることになっていたが、そこへコンソールなど、デバックに必要な機材一式を持ち込み徹夜覚悟で修理にあたることにした。
 膨らんでいるドームをどうするか。できればファンは夜通し通電しておきたかったのだが、許可は残念ながら降りなかった。しょうがなしに電源を切った。ファンがとまり、少しずつ萎んでゆくドーム。すでにドーム中心に据えた中の投影機は大丈夫だろうか、と少し心配だったが仕方がない。
 夜遅くまで手伝ってくれた渡辺さんや内野君、荻野さんなどに礼を言い、彼らと別れて岡本君の車で柏に向かった。
 岡本君の部屋には1時過ぎに到着し、夜食で少しカロリーを取ってから早速肝心の修理にかかった。複雑に入り組んだ回線の、ひとつひとつの信号を丹念に追っかけて原因を突き止めるしかない。プログラムのバグが原因があるとは考えられない。すでにそのプログラムは実績あって、しかもコンパイルされているから間違って式を変更してしまっていることもない。どこかの配線が振動で切れたのだ。
 原因が突き止められたのは、午前3時ごろだっただろうか。そう、やはり接触不良だった。データ読みだし命令線の1本が外れていた。なるほどこれでさっきのような症状が起こるわけだ、と納得したが、なんでこれに気付かなかったのかと、我ながら情けなかった。とにかく一件落着ということで喜びあって、明日に備えて少しでも寝ておくことにした。明日(いや午前だから今日か)またトラブルが起こることも知らずに・・・

 当日(初日)

またトラブル

 ついにこの日が来た・・・  朝一番で戻ってみると、西川さんがすでに来ていて、ドームを半ば膨らましていた。西川さんは、予定より作業が遅れていることで驚いていた。当日は車両乗入れができない。コンソールなどの機材は、体育館からちょっと離れた裏門からえっこらえっこら運ぶことを余儀なくされた。
 ドームの中には投影機以外の機材はまだ置いていない。電源を中に引き込み、解説席の机を並べてコンソールやコンピュータ、オーディオなどの機材を据え付けた。西川さんは宣伝用のポスターをはりに行った。
 ドームの中で僕たちは投影機との接続を終えて通電し、解説席で作動チェックに入った。ところがまた太陽投影機の制御基板にトラブル発生。昨日のとは症状が違う。原因はおよそ察しがついた、以前から時々様子のおかしかった場所だ。太陽投影機の位置を把握するカウンタの、16BITのデータ線のうち最上位ビットがすこし接触不良ぎみだったのだ。
 およそ原因は特定できているのだからたやすいはず、と思いきやそうは問屋が卸さない。詳細な原因追跡には、使っているICのピン配置を載せたデータシートが必要だった。

会場に設置したドーム

予定時間をとっくに過ぎたのに開演のめどが
立たないドーム。ドームの外では岡本らが準
備作業。ドーム内では大平らが投影機の補修
にてんてこまいだった
(撮影:西川誠司さん)
 すでに開場時刻が過ぎていた。しかし、初日は平日土曜でしかも午前中なのでほとんど客が来ないのが幸いした。とにかく原因が追及できない。
 空しく時間が過ぎてゆくだけで、この簡単な問題がどうしても直らない。午後になり、客がかなり来るようになったとドームの外からインターホンが入る。外では、投影機不調のためにお待ち下さいと、見に来た人に謝っているのだった。焦るばかりだった。
 このまま回路を追っかけても、いつ直るか分からない。そこで代用手段を、と考えているうちに、外にいる西川さんから、「見に来た人が何回もきて”まだできないのか”と催促されるようになった」とインターホンが入る。時計をもってない僕が時刻を聞くと、もう午後2時だという。え、もうこんな時間? ドームの中の隔離された環境の中で、寝不足で腐った脳みそはまるで時間経過を把握できないらしい。「何とかお客さん入れられないか?もう何回も来ている人いるんだよ」と渡辺さん。困る僕。故障はデータ入力系統だった。コンピュータはコンソールで表示される位置や時刻を把握できない。「オーマイガー!」いいかげん動けこのポンコツ!
 コンピュータ関連の機能は一切使えない。太陽は投影できないし、それに連動する薄明も使えない。セミオートも動かない。「星空がメインなんだから、客は太陽がなくても満足するんじゃないか?」、と岡本君がもっともなことを言う。確かにそうだ。けれども製作者のこだわりというものがある。8mの巨大ドームの夕焼け空に日が落ちてゆくその光景をこれまでずっと思い描いてきたのだ。それなのに、”パッと星空”では、それではあんまりだ!

苦渋の決断。満身創痍で上映開始

 けれどもお客さんは待っている。わがままなど言ってばかりいられない。コントロール系統には、万一コンピュータがダウンした場合を想定して、最低限のマニュアル運転のために自力で駆動信号が出せる予備の非常制御回路が備わっていた。できれば頼りたくなかった非常回路。調光操作は手動でやればいい。投影機自体には何の異常もなかった。
 しぶしぶ「入場OK」の返事をする僕。直後エアロックから初めてのお客さんが現れた。その人数の多さに驚く。こんなにたくさんのお客さんを待たせていたとは。僕は外のようすはまるで知らなかった。みなさん。ごめんなさい。そして、来てくれてありがとう。(懺悔と感謝)
 あいさつと、コンピュータ関連の不調で本来のプログラム通りの解説をできないことを僕は告げ、投影に入ることにした。本来設定していた100円の入場料は機械不調のためにもらわないことにしていた。
 解説を始めようとしたその時、僕は矢印ポインターがないことに気付いた。あまりに目まぐるしい事の移り変わりでポインターのことをすっかり忘れていた。まだ組み立てていないのだ。もう間に合わない。太陽なしで、ポインターなしの満身そういの解説はとにかく始まった。とにもかくにもこれまで何年もの間夢見てきた初公開のスタートだった。
 ポインターがないからそれぞれの星を指し示して解説することができない。そこで、まず日周運動を見せ、次に赤道やオーストラリア、南極などの空を出して日周運動させ、場所による星の運行のしかたの違いについて解説した。下準備やネタがない時の僕の常套手段だ。ひどい状態にもかかわらずお客さんたちは喜んでくれたようで、投影終了時には拍手までしてくれた。外に置いた感想ノートには「故障にめげないでがんばってください」のメッセージ。ありがとう!ボクたち、がんばるからねーー。
 とにかく1回めの投影は終了。すぐに僕は外に出て荷物からポインターを探した。しかし見つからなかった。紛れてしまったのか、家に忘れて来たのか。
 2回目の開始時刻も近付き、観客も集まりだしていた。すでに修理の時間はなかった。そうして、その日延べ3回(多分)の解説を、最初と同じ要領で行い、初日公開は終わった。
 今日は土曜だから客の入りが少なくて何とかなったが、明日の日曜とあさっての祝日が正念場となる。修理もしなければならないが、いろいろと備品でかけているものも目立った。岡本君の下宿に戻るにも1時間以上の時間がかかってしまうし、ならば今日は川崎市の自宅に帰った方が賢明と思い、僕は今日は自宅にかえって寝ることにした。

 2日目

ハードの欠陥をソフトで補おう

 案の定、自宅にポインターなどが置き忘れてあった。これを持ってゆけばいいし、自分の部屋で少しまとまった睡眠も取ることができ、朝体育館に着いたとき、昨日に比べて体調はよかった。
 ふと、コンピュータのインターフェイスの誤動作は、ソフトで補うことで解決できそうだということを考えついた。故障の症状はつかめていた。16ビットの読み込みデータのうち最上位の1ビットが読めない。最上位ビットを読めなくとも、他のビットの変化から類推できる(差分方式にする)ことに気づいたのだ。ソースプログラムはあるから絶対値方式から差分方式にプログラムを作り替えることは造作もないだろう。このことに気付いたのは、朝生産実習工学部に向かう電車の中でのことだった。いいアイディアが浮かぶのは電車の中が多い。ちょっと睡眠を取ると頭の回転が違ってくるらしい。昨日の疲労と混乱の状態では間違っても考えつかなかったろう。家に帰ってよかった。
 そんなわけで、ドームに入るやいなや僕はプログラムの改良にかかり、無事修正は終わった。結果もよく、やっと万全な状態で投影できそうだった。

手痛いミス。ファイルがない!

 しかしトラブルはまた起きた。こんどはインターフェースは万全の動作をしているのだが、太陽方向制御のルーチンの誤動作である。これはソフトのバグ(コンピュータプログラムの誤りによる誤動作を一般にバグ「虫」という)だと直感した。ソースプログラムを修正して再コンパイルしたのだからミスの入り込む余地はある。でもどうして?相次ぐトラブルに頭をかかえた。
 いけなかったのは、新しいファイルネームを変えなかったこと。修正前のリストはもう読めないのだ。だから比較することができない。これは大きな失敗だ。
 リストを見て原因を探す。エラーは出ないが、それがかえって厄介だ。むだな時間が過ぎる。しかし今日は正念場である。スカイウオッチャー(天文雑誌)の取材も来る。客を入れぬわけにはゆかなかった。
 2日目の投影を始めることにした。今日も太陽なしで始めるはめになるとは・・・と情けない思いだったが、昨日と違うのは、コンピュータとの通信はうまくいっているからセミオートができるということ。そして何よりポインターがあるから昨日よりはましな解説ができる。けっこうすんなり僕が客の入場をokしたのもそのためだ。
 1、2回めあたりはそれで切り抜けた。観客が出入りする合間ごとに僕はリストを出してバグとの格闘が続いた。くだらないミスに決まっている。そうと分かっていながら直せないもどかしさから、僕は不機嫌になり、せっかくいろいろ助言してくれていた内野君をうるさがったりしてしまった。ごめんな。

全システム正常!いよいよ本番だ

 バグは突然とれた。これということなしに、いつの間にかプログラムは正常に動いている。なにかをやったのだが覚えていない。無意識にやったことが偶然効を奏したようだ。いささか薄気味悪い治り方だが、回路と違って、接触不良みたいにまた再発することはないだろう。でも何故か。
 2日目中盤でようやくプラネタリウムは万全となったのだった。これですべ予定通りの解説ができる。前半無料にしてしまったので、今日は終日無料にしたが、とにかく万全になった。
 おりしもスカイウオッチャーの記者が取材に来た。高校時代もスカイウオッチャーの取材を受けたことがあるが、今度は違う人だったので実は普通の観客にまざって投影を見ていたのに気付かなかった。
 投影が軌道に乗り、時間も惜しかったし、ここで僕が解説を抜けるわけにはいかないので、悪いなとは思ったが記者の人には話をするのは投影後にしてもらい、投影を続行した。しかし僕だけが解説をやる訳にはいかなかった。なんとか岡本君や西川さんにも解説をさせなければということで、まず西川さんに解説をやってもらうことにした。
 リハーサルが全くできなかったので、西川さんはコンソールの操作にも慣れていない。そこで僕がアシスタントになり、分からないところは補助するようにした。解説は僕のシナリオに比べて落ち着いた雰囲気で、BGMはなかなか雰囲気がよかった。ただ、星の位置が分からないであせる場面がいくつかあった。ペガサスの四辺形が分からなかったのは僕に責任があるのだった。というのは、2カ所ほどの地平下遮光シャッタ−は条件が重なると一部星をかけさせてしまう箇所があって、不運にも『四辺形』の1つの星を消してしまっていたのだ。改良の余地ありだ。
 ほかに、投影中、緯度軸のストッパーをかけるのを忘れて外れてしまい、慌てて付けにいったアクシデントなどあったが、全体的に投影は上々だった。3日目はうまく行きそうだった。

新聞と雑誌の取材

 全部の投影が終わってから、スカイウオッチャーと日大新聞の取材を続けて受けることになった。2つの取材ががっちんこ。思わず時間が長引いてしまったが、その間西川さんと岡本君はコンソールの操作練習をすることができたので、時間は有効に使えたと思う。夕焼けを出してほしいというスカイウオッチャーの記者に、マニュアルで夕焼けを出して見せたところ、記者の人もよろこんで写真をばしゃばしゃ撮っていたが、自分でもこんなにリアルに出せるとは思っていなかった。隠された能力の再発見だ。いままでは自動まかせで気付かなかったのだ。赤とオレンジと青のバランスはとても微妙で、これのわずかな違いで夕焼けの様子は驚くほど変貌する。「これをセミオートで出さぬ手はない」と、取材が終わった後、もう一度夕焼けをマニュアルで最も奇麗な見え方になるように出してみてそのときの各部の電圧を測り、これを記録してグラフを作り、ユーテリティプログラムに移してゆくといったやり方で調光関数の再作成に入った。岡本君と、このあたりがいい、空がちょっと青すぎる、星の出て来るタイミングはこのあたりがいい、などと議論しながらの作業だったが、これがかなり手間を食った。でもこれで、夕焼けの見え方は抜群に向上した。これまで見たどんなプラネタリウムの投影より奇麗でリアルだ。そう断言できた。
 取材が長引いたのと、調光関数に手間取ったのが合わさって、体育館を出たのが午前2時くらいだっただろうか。実行委員が見回りに来なかったのはラッキーだった。でもこれから柏まで戻るのは時間のムダということで、今日は適当なところに車を止め、その中で寝ることにした。ちなみに今日の痛手は、岡本君の車が駐車違反でレッカー移動され、2万円あまりを損したことだったろうか。


 3日目(最終日)

 いよいよ最終日の朝を迎えた。夜通し車の中は暖房をつけていた。それが仇になり、エンジンがかからない。エンジンがかかってもすぐにとまってしまう。ガス欠らしいという岡本君。でもガソリンスタンドにたどり着いて分かったのは、バッテリーの方が原因だったということ。今日はしめくくりだ。
 プラネタリウムは朝から絶好調だった。初日の苦悩がまるで嘘のようだ。岡本君は初日、太陽はもうダメじゃないかと思ったそうだ。
 今までのロスを少しでも取り返そうと、投影は朝一番から入れた。最初は観客は3人しかいなかったが構わず投影をした。昼ごろから観客はかなり増えて来て、満席に近くなった。このあたりで岡本君にも解説をと、解説を教えてとにかくやってもらうことにした。彼はかなり緊張していて、それがひしひし伝わって来たが、一通りこなしていて、最初にしては上々だった。
 こうして、投影は、初日とは対照的にまさに駆け抜けるといった感じで進み、最終日は好調のまま最終回を迎えることができた。一般投影の最終回のあと、一部片付けに入ったが、つきあいのあるサークルである占術研の面々に特別番外投影を披露した。
 片付けで助かったというのは、スタークルー(先に触れた生産工有志の天文サークル)のOBの先輩たちが大挙して来てくれて、片付けを手伝ってくれたことだった。みんなでがやがやとやると、片付けも楽しいものだと思う。片付けでのハイライトは、ドームを崩すところだ。ドームのバラストをすべてはずし、一箇所を急激に持ち上げると、ドーム全体が急にバランス崩して転覆し、あっという間に中のものが取り出せるというわけだ。以前のドーム実験中に偶然起こった現象だったが、有事(火災など)の緊急避難にも使えそうだとまじめに考えている。この様子にみんな爆笑。西川さんがもって来たカメラでビデオに収めておいた。
 ドームを畳むのが大変なのだが、今回は人がいっぱいいて、みんなでやったらあっという間にできてしまった。外の機材もまとめて運びだしに入った。
 実は機材の置き場の件で実行委員とひともめしたのもこの時だ。学生用プレハブに機材を置けるはずなのだが実行委員側はそんな話は聞いていないという。お互い気が立っていて、それこそケンカにすらなりかねない一触即発の状態だったが、結局学生課と実行委員会の間での意志疎通に行き違いがあったということでなんとかまるく収まり、投影機はプレハブに置くと危険だというので、学生課のはからいで別の建物に置き場所を確保してもらい、万事片付いた。

宴の後・・

 体育館に戻ると、いままでドームが建ってその中でプラネタリウムが投影されていたとは思えないほど閑散としていた。いつもの、だだっぴろい体育館に戻っていた。『一抹の寂しさ』とはこんなものをいうのだろうか。
 
 

集まってくれたスタッフ

公開終了後のようす。大学の先輩や後輩を
はじめ、多くの人の助けがあって実現でき
た公開だった
(撮影:西川誠司さん)
 こうして、トラブル続きで満身創痍ながらも、長年の宿願だった「プラネタリウム3号機」の初公開を果すことができたのだった。構想は高校時代にさかのぼり、さまざまなアルバイト、1年の休学、実に多くをつぎ込んだ。いろいろな人から「アマチュアには絶対不可能」と言われたレンズ式プラネタリウム。文字どおり血と汗と涙の結晶だ。  こうして終えてみて振り返ると、作る作業と、上映することはすごく対照的なところがあると思う。作る、というのは、とにかく孤独な作業だ。設計も製作も、ほとんど一人の作業だ。話す人もない。手伝ってもらったところはいろいろあるが、一緒に作業したわけではないので、やはり孤独な作業に違いはない。それに比べ、上映するとなると、実に多くの人に支えられたと思う。最初は4人くらいしか確保できず、本当に大丈夫かと思ったが、いざそのときになると、何かと手伝いにきてくれる人がいるものだ。メンバーの岡本君と西川さんに加え、眠いのを我慢してトラックを運転して機材を運んでくれた内野君、自分のサークルもあるのに、隙をみてはこっちに来ては手伝ってくれた金沢君、ドームの組み立てで手伝ってくれた渡辺さん。コードリールをこっそりもって来てくれた院生の荻野さん。そして片付けを手伝ってくれたOBの余吾先輩を初めとする先輩諸氏や占術研の人達などなど。そして、時間はずっとさかのぼるけれど機械製作の段階でいろいろ手助けをしてくれた機械科実習室の先生方、さまざまな面で指導をいただいた杉浦さん、工作機械を使わせた入山製作所の方など、本当にありがとうございました 。