激動の1992年地方行脚の旅(後編)


ワールドテクノフェアin千葉

 投影機の改造、プログラミングもほぼ終了し、テクノフェアに出展する日がやってきた。前々日から準備に入ったのだが、幕張メッセは日大生産工からわずか10キロ程度の言わば地元なので、茅野の比べれば輸送も楽なものだ。大学のトラックを板橋学生課長が運転して下さり、田中君らが自分の車を出してくれて、2日にわたってドームと投影機を運んだ。
 
 
 

 ぐるりと見わたすと、会場の何と広いことか。搬送のトラックやリフトなどが会場内をひっきりなしに往来し、各ブースの装飾があわただしく組み立てられていく。遥か頭上の天井からは千葉県工業技術展と書かれた大きな垂れ幕。そのなかに到着した我々も、早速ドームを膨らまし始めた。
 ドームを膨らます過程では、ガムテープなどの細かい資材の不足が目立ってすこし能率が落ちてしまった。地元であるということが気の緩みを招いたようで、トラックを運転してくれた学生課長には迷惑をかけてしまった。約束通り、自動火災報知器を設置する段階になった。装置は脇に置けばよいとして、センサーはドームの天井付近に固定することでOKとなった。準備はなんとか規定時間に終わり、翌日の投影開始を待つばかりになった。
 さて、今回は大改造を終えて生まれ変わった新しいアストロライナーの初舞台である。シナリオは全く新しいものになった。地球を離れ、火星に降り立って火星の夜空を見上げてゆくというシナリオである。BGMもかなり変えた。選曲は同じ大内研究室の木藤君の協力で進めた。雰囲気もこれまでと少し変わって新風吹き込んだ感がある。結局惑星投影機が間に合わず予定より少しさびしくなったけれそも、投影機の3軸化(仮想軸ドライブ)と完全自動化はなんとか達成できた。観客ウケするかはまだ分からないが、自動運転と仮想軸ドライブはプラネタリウム計画の一つの目標だったから、ようやく達成できたことになり感慨深い。ところで、初日に通信社が取材にやってきた.短時間の取材であまり気にしてなかったら、翌日「手作りプラネ幕張メッセで公開」の記事が日経、サンケイはじめ全国の新聞に掲載されたことを知ってビックリ。
 さて、今回はスタッフがたくさんいて何かと助かった。というのも、卒研の仲間がたくさん手伝いに来てくれたからだ。けれども残念だったのは、これまでほとんどの移動投影に参加してきた西川さんが今回急に来れなくなってしまったこと。彼は社会人なのでしかたがない。一番の問題は解説。一人でまる4日間はさすがに辛い。かといって、僕と西川さん以外に解説できる人間はいない。(かつて隠れ天文少年だったという田中君になんとかやらせようとしたのだが、だめだった)初日と2日目は何とか乗り切ったが、正直言ってつらい。
 これまで「心のこもらないテープ解説はやらない」と決めていた私だったが、しかたなしに、解説用テープをつくることにした。2日目までは肉声解説で切り抜け、その日の夜に時間をとって解説テープを作ったのである。録音は2日目の夜、しんと静まり返った会場で、音楽に詳しい木藤君に付き合ってもらっての作業である。その場で思い立った作業なのでミキサーなどの設備はなく、ミニコンポだけなので、音楽のフェードイン、フェードアウトには苦労した。そしてもっと難しいのは投影機との連動のタイミング。投影機のプログラミングを終えて、解説テープの頭出しをしてから、テープと投影機のスタートボタンを同時に押すのだが、なかなか両者のタイミングが揃わない。(このテストをプロのプラネタリウム館ではランスルーと呼ぶそうだ)そのころはまだ投影機の制御ソフトが不完全で、自動運転の中断や途中開始などができなかったのだ。録音は夕方から始めて、何とか使用に耐える解説テープができたのは夜11時をまわった頃だった。
 こうして作った解説テープ。もともとは、『声が枯れてどうしようもなくなったら使う』つもりだったのだけど、初回に「ものは試し」といきなりテープ解説をやってみたら「なんと楽なのだろう」と、すっかり病み付き。その次、そしてその次も、という具合に、結局後半2日はすべてテープ解説にしてしまった。なにせ解説者はポインター(空に現れる矢印のこと)の操作だけしていればいい。食事も投影本番中にすませるなどといった横着な芸当までできるようになった(罰があたるか)。とにかく、片時もコンソールから手が離せなかった高校当時の1、2号機とは雲泥の差である。楽になったからといって、それがイコール進歩とは限らないけれど。
 
 
ASTROLINER in 幕張メッセ'92

テクノフェア会場(幕張メッセ第5展示場)

ひろびろとした会場で、おもに千葉県を中心としたさまざまなメーカーなどがブースを設けて製品やサービスを紹介していました

プラネドームの待ち行列

工業技術展というお堅い(?)名前から、観客のほとんどは、メーカーの営業マンやエンジニアばかりだと思っていたけれど、コンパニオンのおねえさんやキャンギャル(?)がけっこう多くて華やか。思いのほか学生や子供の姿も目立ちました。

手伝いにきてくれた研究室のメンバー

当時私が卒研生だった頃の、大内竹島研究室のメンバーが総出で手伝いに参加してくれました。ありがとう

ドーム内で投影機と私

改造後、投影機の細部にいろいろな変更部分があるけど、見た目にはわかりにくいかも(Photo:共同通信社)

 
 
 

広島へ遠征す

 広島県安芸郡蒲刈町県民の浜から、プラネタリウム移動投影の依頼が舞い込んだのは、8月ごろだっただろうか。10月16日から18日にかけて、県民の浜で星祭りが開催される。そこに常設展示物として出展して欲しいという。これまで移動投影の依頼話は、問い合わせも含めると10件以上になっていたが、時間や広さなどの様々な問題があって応じられない場合が多かった。今回の話はこれまでにない遠方で、最初電話で話を聞いたときには正直「多分無理だな」と思っていた。
 しかし、ある程度の困難があっても、先方が「どうしてもやりたい」というであれば、こちらも何とか実現したいと思うものだ。改造途中であるにも拘わらず茅野での投影を引き受けたのはそのためだった。依頼者のためもあるが、それだけこのプラネタリウムに価値を見いだしてくれたことが嬉しい。
 ただ、絶対に譲れない条件がいくつかある。必要経費はすべて出してもらうこと。営利を目的としてはいないとはいえ、それなりに費用のかかる遠征費を自己負担して出張投影できるほど裕福ではない。それから、ドームを建てる場所が屋内であること。茅野での投影では半ば屋外だったが、屋外の問題点は風雨にさらされる危険があるし、鍵のかかる屋内に比べて機材保安上の問題もあるわけだ。これは茅野公演での教訓でもある。移動公演はぜひやりたいが、こうした基本的な条件はきっちりと守らなければならない。
 とにかく移動公演は実績を重ねつつあり、茅野、幕張メッセと、次々に成功させてきて、自信もついていた.先方との交渉もしだいに慣れたものになってきていた。しかし今回は遠方ゆえの心配があった。
 まず輸送の問題。茅野では、ワンボックスのワゴン車をレンタカーで借りて、機材一式を積み込んで人員ともども運搬した。しかし、これができるのは茅野あたりが限界だった。僕は運転免許がないので実感としては分からないが、馬力の出ないワゴン車で、しかも壊れ易い機材を積んでの気を使った運転はとても疲れるものなのだ。プロの運送屋と違って、交替で運転して車の中で眠ることも難しい。いろいろ考え、我々で話し合ったがいずれにせよ、1000キロも離れた広島までレンタカーで運ぶのは、あまり現実的でないことが分かってきた。
 運送屋に機材運搬を依頼するというのが、一番現実的と思えた。しかし問題は運送料だ。プラネタリウム一式を業者に頼んで運んだことはないので何とも言えないが、運送料は数十万円にはなるだろう。依頼者がそれを負担できるだろうかが問題だった。
 とりあえず運送料を見積もってもらうことにした。父の紹介で運送会社に依頼することとし、プラネタリウムに関する簡単な資料を送って概略の見積もりを立てた。結果をみると、かなりかかるものだな思ったが、蒲刈町に打診したところ、意外にもそのくらいは何とかなるだろうという返事が返ってきた。
 話が次第に現実味を帯びてきた。輸送の問題が片付けば、あとは特に問題はない。人員は電車なり飛行機なりで現地に向かえばいい。
 しかし、実際に運べるか、そして正確な運送料は? 運送業者が直接実物を見なければ判断できなかった。後日運送会社から下見に来て、寸法などを測っていった。輸送方法は、コンテナをまる1個借り切って、鉄道便で運ぶものだった。困ったのは、彼らはもともと運ぶのは本体投影機だけだと思っていた点だ。こちらの説明不足もあった。いずれにせよ、雑多の機材、エアードームまで含めるとなると、かなりの超過を覚悟しなければならなかった。コンテナを使うので運送料は変わらないが、梱包料がかかるのだ。
 その後の検討により、保険加入も含めて運送料は少し高くなってしまった。運送料に関する交渉は、県民の浜の篠永さんと直接するようにしてあったので、こちらが関知しなくても良いのだが、やはり実際は気になる。ともかく、運送料がハネ上がったことで依頼者側でも戸惑いはあったようだ。その後の交渉により数万円値切ったところで落ち着いたと聞いた。
 さて、商売道具たる投影機の能力、機能は、幕張メッセで公開した状態にほとんど手を加えずに使うことにした。信頼性にはほとんど問題はないはずだった。もっとも、長距離の輸送中に破損しないという保証はない。しかし運送のプロに任せるしかないだろう。  鉄道便なので、運送には1週間ほどの時間がかかり、その分早く機材を運びださねばならなかった。10月9日の朝に梱包屋が来て、手際良く梱包していった。驚いたのは特別に作った木箱だ。見たところ頑丈この上ない。
 細かい機材も含めて梱包が終わるころ、トレーラーに乗せられてコンテナが届き、次々に機材を積み込んで行った。本体投影機の木箱の寸法が合わないトラブルもあった。すぐに梱包屋にとって返し、新しい木箱を作り直すことにした。ともかく、コンテナはすべての機材を積んで運ばれていった。忘れ物はないか、機材は大丈夫かという不安を拭い去ることはできなかった。
 投影機一式やコンピュータ、工具類までもが運び出されてしまうと、もはや作業部屋ではすることもなくなってしまった。出発までの数日間はぼんやりしたり、唯一の作業といえば、コピーしておいたプログラムを研究室のパソコンを使って改良することぐらいだった。それとてハードウエアがないので不便この上なく、作業はほとんど進まなかった。  10月15日。いよいよ出発の日が来た。心配されていた台風22号も、とりあえず出発の足を妨げることはなかった。
 広島といっても飛行機なら1時間余りなのだが、そこからが実は遠いのである。電車で1時間、フェリーに乗り継いで蒲刈島へ。蒲刈島の田戸港に篠永さんが車で迎えに来てくれた。およそ予定通りだった。地県民の浜に着いたのは、午後2時半ごろだったろうか。
 県民の浜には、すでに機材一式を収めたコンテナが到着していて、すでに機材は搬出されていた。コンテナの方がだいぶ先に着いたらしい。というのは、ちょうど田戸港に着いたとき、それらしきコンテナを運んだトラックを偶然目撃していたのだ。我々が町役場に居た間に、コンテナはとっくに着いていたようだ。
 ドームを設営する場所はごく普通の体育館のようで、場所の状態は申し分なかった。我々は早速ドームを膨らましにかかった。手順はいつもの通りだった。換気扇を使って送風を初めて30分ほどで、立派なドームが完成した。朝早かったので眠かったので作業も休みがちだったが、それでも機材搬入、設置なども滞りなく終わった。しかし解説テープを作る段になって問題が発生した。持参してきたミキサーが、音響に使うコンポにつないで使うことができないことが分かったからだ。ミキサーが使えなければ、フェードイン、アウトができない。音響ならまかせなさいの木藤君が中心になってあれこれ手を尽くしたが、どうにもだめだった。結局、翌日は生解説で投影をすることにした。投影機の自動運転プログラムも、生解説に対応できるように書き換えた。作業は午後8時ごろには終了した。
 宿は県民の浜の中にあるホテルだったが、ログハウス風の、木の香りのする雰囲気の良いところだった。食事も海の幸がふんだんに入ったもので、条件の良さに皆大喜びだった。ことに、茅野公演にも参加した皐月君は台風でメチャメチャだったあの時とことあるごとに比較して回の好条件を喜んでいた.
 翌日16日。この日は小学校から高校までの団体客がメインだ。昼くらいにまず高校生の団体が来て、それから中学生、小学生の順だ。シナリオは当初予定していた『火星の星空』より急遽変更して、『世界の星空』にした。その方が、見た目に分かりやすく、シロウト目にはおもしろくなると考えたからだ。高速駆動を生かした、飛ぶような日周運動は自画自賛だが迫力がある。とにかく客層を考えてシナリオを選べということだろうか。  田舎(失礼!)の高校生も、都会の高校生とそれほど変わらないように思えた。あえて言えば言葉の訛りくらいだろうか。少々うるさいのには閉口したが、星空が動くときのどよめきなど、見る側の反応がもろに返ってきて楽しい投影だった。その後、小学生、中学生を迎えて、次々に投影を進めていった。しかし、一般客は少なく、果して翌日は観客が来るだろうかという心配があった。
 ところで、今回は星祭りだ。他にも出展者として、アマ各天文家が多く集まってきていた。夜になると、ペンタックスの15センチ(だったかな?)ED屈折をはじめ、大小様々の望遠鏡が砂浜に並んで、天体観望会が開かれた。雲の多い天気だったが、雲間から時折のぞく土星を見ることができた。シーイング(星の見え具合)はまあまあといった感じか、輪に落ちた本体の陰をはっきり見ることができた。
 翌17日。一般客が多く来るはずの日だ。午前中は客が来る気配はほとんどない。投影開始は午後2時ごろからということで、結構のんびりできた。体育館でぼんやりしながら時間を待った。
 午前中は閑散としていた会場内も、午後になるとぼちぼち人が増え始め、午後2時の投影開始時には、たくさんの人がプラネタリウム入り口に並んだ。幸先のよいスタートだった。
 昨日も含め、観客の多くはプラネタリウムというものを未だ見たことがない人たち。それゆえ星空が現れたときの反応はこれまでになく強かったように思う。僕も一番好きな場面なのだけれど、太陽が沈んで星々が輝き出すとき、人々からは感嘆のざわめきが起こり、それが満天の星空になったとき、最高潮に達する。今晩の夜空を投影したあと世界旅行に向かう。スーッと星が動きはじめたかと思うと、見る間に加速して、目まぐるしい高速回転となる。目がまわるような迫力に、一斉に歓声があがる。この歓声が大きいほど、プラネタリウムをやっていて良かったと思う。
 そして今回、いままでと違うのは、夜遅くまで投影を続け、しかも晴れた表では観測会が開かれているという状況だった。その時点での星空をリアルタイムで見せることができた。天体観測会とプラネタリウムが連動し、まずプラネタリウムで観測の手引として予行練習、投影終了後は実際に表に出て実際の星空をご覧下さいというわけだ。リアルタイムプラネタリウムだ!
 こうして、午後9時までの予定が9時半ごろまでに延長した投影予定もすべて大きな問題もなく消化することができた。
 さて、最後にカメラ機材を持ってきてくれた皐月君と共に、ドームに投影された星空の写真撮影をすることにした。実はいままで何度もプラネを公開してきて、自分達でまともに写真撮影したことはほとんどない。写真が必要な時になってあわてて取材に来た新聞社などに頼んで写真を分けてもらうぶざまなマネはもうやめにしようと、まとめていろいろな場面を撮影するというわけだ。星空、夕焼けなど、様々な写真を撮っておけば、後々人にも見せられるし、記録にもなる。あわよくば年賀状にも使おうという考えもあった。  そんなわけで空前の長距離遠征となった蒲刈公演も無事に終了した。きれいな景色にのんびりとした雰囲気。島の人たちはみな人なつっこくておおらかだ。これもいい思い出になることだろう。ところで、返りぎわに蒲刈島の向港で船を待っていた時のこと。海がとても澄んでいることに気づいた。「これが海?」てなくらい底まできれいに透けて見えるのだ。びっくりしていると、船着き場で何人かが釣りをしているのが目に入った。興味にかられて行って見ると、小鰯を釣っていた。その釣れ方が凄い。釣糸を垂らしてほんの数秒で何本もの針に一斉に魚が食いつくのだ。驚いてそのあたりの海の中を除くと、すさまじい数の群れがいる。千匹は下らないだろう。寄せ餌を撒くと、群れは現れ、しばらく餌に群がる。その集まった群の中に釣糸をたらすわけだ。まさに入れ食い。ものの数秒ですべての針に魚がかかる。すごいもんだ。いいなあ瀬戸内海は。また来ようという思いを抱きつつ蒲刈島を後にした。
 なお、今回の星祭では数多くの天文アマチュアの方々とお話することができた.また広島市子ども文化センターの方々と親しくなった。この文化センターではプラネタリウムの投影ソフトをすべて自主製作しているのだが、後日職員の方が、わざわざ解説テープのコピーを送って下さった。参考になると同時にいい刺激にもなった。ありがとうございました。

ショック!アストロライナーの最期!?

 プラネタリウムが台からそっくり転げ落ちるなどといった事があっただろうか。我々は未だかつてないショッキングな出来事に遭遇してしまったのである。
 広島から帰って半月後には、92年学祭(桜泉祭)があった。昨年に引き続き2回目の学祭出展となるのだが、そこで出展して片付けるときに”事故”は起きた。
 「御神体」ことアストロライナー本体投影機は、92年学祭での公開を終えて、翌日の片付け日に撤収することになっていた。ドームを畳んで、投影機を搬出するのだが、ドームを畳むのに、我々がいつもやっている方法(すでに説明したが)というのが変わっていて、バラストを全部はずして不安定になったドームを「いっせいのせ」で一気にひっくり返してしまうというもの。普通に空気を抜く場合、最初に投影機をエアロックを通じて搬出しなければならないが、ひっくり返す方法ではまさに一瞬でできるうえに、投影機はドームを倒せば自然に外に出る。そしてドームのひっくりかえって行く様の壮観なこと!。全く病み付きなのである。投影最後のシメとして恒例『ドームひっくりがえしの儀』は欠かせない儀式となっていた。
 というわけで今回も、よせばいいのにいつものように椅子を畳んでバラストを外し、ドームを畳んでしまう一抹の寂しさとひっくりかえす喜びの入り交じった複雑な気持ちで作業を進めた。さすがに手慣れたもので、準備万端okである。いつものごとく投影機はドーム中央の机の上。手伝いの皐月君はカメラを持って来たので、ひっくりかえす様子を撮影することにした。ビデオでは撮ったことがあるけれどもよく考えると写真では初めて。まさかこれがとんでもない決定的な悲劇の瞬間の記録となろうとは誰が想像したろうか。
 いよいよひっくりかえしである。ひっくりかえし要員は今までは数人いたのだが今回は人が少なく、木藤君と2人だけである。これがまずかった。秒読みして「ゼロ!」と同時にドームの端を勢いよく持ち上げた。ばさばさばさーっとドームが傾いて倒れ始めた。が、様子がおかしいと気がつくまでに1秒とかからなかった。いつもよりドームの縁が低い。「あ」と思ったそのとき、ドームの縁が投影機の上半分にひっかかった。投影機はぐらり。シマッタと思って何とか投影機を押えようと走り寄ったが時すでに遅し。投影機の自重とドームの自重が重なったどうしようもない力で投影機はかたむいてゆきそのまま床にガッシャーン!体育館いっぱいに響く間抜けな悲鳴と雄叫び。その後はひたすら絶句である。
投影機落下の決定的瞬間! 
その出来事は、奇しくもカメラレンズの目前で起きた。
本当なら、投影機をそっくりよけるようにして倒れる
ドームだが、今回は持ち上げ方が弱かったせいで、その
縁が高く上がらず、中央の投影機にひっかかってしまった。
そして、抑えることもできず、そのままガッシャーン
Photo:皐月裕一
 とにかく投影機を引き起こしてダメージを調べる。何枚レンズが割れているだろうか。主軸がひん曲がったのではないだろうかと恐る恐る覗き込む僕。あちこち板金がへこんでいる。スリップリングの留金がぶっちぎれてぶらぶらコードにぶら下がっている。「御神体が泣いている」と皐月君。確かに泣いている。ああかわいそうな御神体。ああボクの4年間の青春、さようならー なんて安易に諦めるわけにはいかない.
 調べると重要な部分の損傷は案外軽かった。それは机の上から落ちたのだから無傷ではないが、運が良かったのか、重要な箇所に衝撃が加わらずにすみ、修理はそれほど大変でないことが分かってすこしほっとした。レンズなどにはダメージがなかった。けれども大変なことをやってしまったことには違いがない。せめて投影機を台から降ろしておくべきだった。もうこんなバカなことは二度としないつもりである。

  さて、ひょんなトラブルから致命的ダメージを受けたアストロライナー。今後の運命は如何に?

 もはやスクラップと消えるしかないのかアストロライナー。

 立て、立つんだアストロライナー。

 ところで、この事故直後に私が皐月君にかけた言葉

「ねえ、今の写真写った?」

 愛機のクラッシュを早くも笑い話のネタにしようともくろむ大平、自分でいうのもなんだが、転んでもタダで起きないヤツである

 その気になる続きは次号にて