復活の兆し・新アストロライナー胎動
クラッシュの後遺症
とんでもないことをやってしまったものだ・・・・・ よりによって、自分が4年もかけて作り上げた機械を、こんなドジでぶっ壊してしまうとは・・・・
確かにそう思った。だけど、そのくせ、自分でも不思議なことに、落ち込むほどのショックではなかった。ダメージが、最初に思ったほどひどくはなかったこと。ほぼ一ヶ月間隔で4回を立て続けにこなした移動公演もすべて終わり、さしあたって今後の公演予定もなかったからというのも理由にある。だが、やはり自分で作り上げた機械だから、自分で直せる自信があった。その気になれば、いつでも修理はできるだろう。漠然とそういう意識があったから、特別なショックは感じなかった。
けれど、このプラネタリウムは卒業論文のテーマにもなっている。大学4年の秋。この段階では、本機の破損が論文作成を妨げることはないが、研究室の先生の耳に入れたら心配するに違いない。考えあぐねたが、まったく報告しないのもまずいので「撤収時の事故で投影機が一部破損したけれど、大きな支障はありません」といったことだけ先生にも報告しておいた。
その気になれば修理はできるとはいえ、次回の使用予定もはっきりしていない。なんとなく修理しようという気にもならず、時間だけずるずる過ぎていった。冬に入り、論文作成に追われるようになると、皮肉なことに投影機の修理からはますます遠のいていった。
卒論発表と表彰
年が明け、93年の3月。卒業論文を発表する時がきた。論文テーマとしてプラネタリウムを認めてくださった大内先生には言い尽くせないほど感謝している。しかも、空いている部屋をまるまる私のために与えてくださった。学内で唯一自分の研究室をもつ学部生、なんてジョークのねたにもなった。そのわりには、私の持ち前のルーズな性格もあってずいぶんと心配ばかりかけてしまった気がする。そんな大学最後の一年も終わろうとしていた。論文テーマは「プラネタリウムの制御に関する研究」。もともとは制御工学をテーマとしているこの研究室の本旨と照らし合わせて、なんとか決めた題名だった。
題名はいいとして、問題は中身だ。ここにきて、僕は自分のテーマに自信がなくなってしまった。それは、これが大学生の製作物としては価値があっても、学術的な尺度で測ったとき、どんな意味があるのだろう?という疑問がのしかかってきたからだ「大学は学問をする場所だ」過去の論文や同級生たちの研究を見るたびに、そう思わされ、そして自分のテーマの学問性のなさに肩身が狭くなっていった。
先生にしても、正直なところ制御工学的な追求を望んでいた面もあったに違いない。けれども、この段階にきて「今までのきみがやってきたことをまとめなさい。それが後に貴重な記録にもなる」と励ましてくださった。そんな先生の励ましもあって論文をなんとか仕上げることができた。
卒論発表は、学内の会議室で行った。学生としては着なれないスーツを着て、それなりに緊張感が漂う。一人一人OHPで発表してゆく。金属材料の結晶分析や、運動系の解析など、難解なテーマ発表が続く。ついに自分の番。とにかく発表した。投影機の仕組みと構成、特徴を前半に。そして後半はその制御アルゴリズム。制御工学としては大した内容ではない。こんな内容でいいのかな、と内心思う。けれど、それとは裏腹に反響はとてもよかった。発表を見に多くの同級生や先生方が見に来てくださり、いろいろ質問や討議をすることができた。とても救われた思いがした。そして、この場に至るまで失い欠けていた自信が蘇ってきた気がした。「確かに学問ではないかもしれない。けれど自分はとても困難なことを成し遂げた。まわりの人もそれを理解してくれている」
表彰
うれしいことはさらに続いた。卒業式に、一連のプラネタリウム活動が学内で表彰されることが決まったのだ。賞は優秀賞。先生曰く「惜しくも総長賞は逃した」そうだが、優秀賞はそれに準ずる賞だ。
ところが、ここでアクシデント発生。なんと、必修科目の単位を落として、卒業が危なくなってしまったのだ。この場におよんでなんてこったー。しかも、うちの研究室ではもうひとり、同じ科目を落としている。先生もさすがに落ち込んでしまった。このごに及んで留年か・・?卒業できるチャンスはある。一回だけある再試験だ。これにパスしなければもうアウトだ。
落とした科目が一般教養科目だというのがまたひとつやっかいだった。これが専門科目なら、学科内の先生が担当なのでまだ多少の尻押しもあるが、一般教養科目は学科外、しかも先生が学外の非常勤講師で、尻押しどころか連絡もつかない。だいたい再試験をやってもらえるかさえ分からない状況で、教科書を開いて特訓し、もう一人のできそこないと途方にくれながら先生の連絡先を探しまわった。
そんな折り、受賞のインタビューに日大新聞の記者がやってきたのもタイミングが悪かった。「卒業おめでとうございます。いかがですかいまの心境は?」という質問。「あのう、卒業できないかもしれないんですけど」とはさすがにいえないし、こまった。記者にいろいろ聞かれたが内心それどころじゃなかった。
けっきょく、先生もみつかり、猛勉強のかいあってか(?)なんとか二人そろって試験もパスして、無事に卒業式を迎えることができた。武道館で行われた卒業式で名前も呼び上げられ、華を飾ることができた。なんとか一件落着だが、秋のプラネ破損にはじまり、卒業までトラブル続きで、ほんと気疲れしてしまった。
どうしてオレってこうなんだろう・・・つくづく思わされる卒業のドタバタ劇だった。
大学院浪人
大学卒業後は進学か就職だ。だが実は、僕には進路が決まっていなかった。大学院進学を希望していたが、学部生当時の成績は推薦基準を満たしておらず、また外部受験をパスできるほどの学力もない。そんな情けない理由で、一年大学院浪人をすることにしたのだ。プラネ三昧の代償は小さくない。
大学には現役で推薦入学した身にとって、初めて宙ぶらりんな身分を味わうことになった。とにかく勉強しなければ。やはりプレッシャーはあった。プラネタリウムはしばらくおあずけ。投影機の修理ができるのも、大学院試験の結果が出てから(8月から10月ごろ)になるだろう。
そんな浪人生活を半年あまり。試験の直前の8月ごろに、名古屋のイベント会社から電話があった。「10月にイベントを開催するので、そこでプラネタリウムをやってもらえないか」といった内容の問い合わせだった。10月・・微妙な時期だ。すんなり合格すればこの時期は空いているはずだが、試験が長引けば背水の陣で猛勉強している時期かもしれない。だいたい投影機自体が壊れたままだ。ちょっと対応できそうにない。それでもなんとかプラネタリウムを上映したいと粘る相手に、星像の質は落ちるけれども、ピンホール式の投影機なら市販されているはず。あるいは作ることも不可能ではないといったことを説明した。ドームも、なんとか作ることもできるだろう。分からないことがあったら相談に乗るので、そのとき連絡してほしい。そう対応するのが精一杯だった。
夜中の突然の電話
幸い、大学院の方は、第一希望には落ちてしまったものの、なんとか9月に進学決定することができた。ほっと息をついて、しばらくのんびりしてから、さあて、プラネタリウムの修理はどうしようかなあ、などと考え始めた9月下旬ごろ・・・
夜中に電話がかかってきた。いつぞやの名古屋のイベント会社からだった。
「大平さんですか、あれからいろいろやってみました。でも、どうにもうまくいきません。なんとかプラネタリウムを持ってきてもらえないでしょうか?」
という感じで、困り果てた末の嘆願の電話だった。あれから特に音沙汰ないので、うまくいってるか、企画が変わったか・・ぐらいにしか思っていなかったので、突然の電話にびっくりしたのはこちらの方だった。聞くと、あれから市販の学校用投影機(ピンホール式)を購入して試みたけれど、星暗くてよく映らなかったので、電球を強力なものに代えたりしていろいろ試したがどうにもだめなのだという。しかも、イベント(かすがい市のお祭りらしい)はもうすぐで、にっちもさっちもいかない。まさに藁にもすがる思い、なのだという。直径8メートルのエアードームを作ったので、あとは投影機だけなんとかしたい。
そんな状態になる前にひとこと相談してくれれば、アドバイスくらいはいろいろできたのに、と思ったが今さらどうしようもない。
しかしこちらも困った。受験は終わったけれど、頼まれようにも肝心の投影機が壊れたままではどうしようもない。修理といっても、残された日程はわずか一週間足らず。そんな短期間にどうにかできるはずがない。
恒星球だけなら
それでもなんとしても上映を・・・先方の希望に沿うにはどうすればよいのだろうか。そこで僕は答えた。「プラネ一式をつかった、「まともな上映」は絶対に無理。だけど、ただ単に星だけ映ればいいというのなら方法もある。本体投影機から、恒星球(恒星投影機)だけをはずして、それを単独で使う方法だ。ただし星はいっさい動かせない。しかも再現できるのはふつうの日本の空ではなくて、北極点(あるいは南極点)から見た空になってしまう。2つあるはずの恒星投影機をひとつだけ使って、まっすぐおいたならば、そうなってしまうのだ。
恒星球もダメージを受けているが、応急処置ならできないことはない。とにかく星を映すだけというならできるだろう。
そんな事情を説明したところ、それはかまわないということだったので、僕は、この飛び込みの公演依頼を引き受け、その準備作業にとりかかった。時間はわずか一週間。
まずは変形した恒星球の修理だ。台座から落ちたときのものすごい衝撃は、恒星球の基本となる「構造半球」を一部変形させてしまっていた。組み立っている状態で修理は無理だ。恒星球を完全に分解して、構造半球を取り出した。元は機械加工で精度を出していた部分を完全に元通りにすることは難しいが、しかたがない。変形している箇所をプラスチックハンマーでたたいて、見た目に元通りにした。そして、再び投影機を組み立てた。それに要した日数がおよそ3日ほど。
また、電源の確保が問題になった。アストロライナーの恒星投影機は、外部から交流電源を送り、内部で24Vの低圧直流に変換してスターランプ(光源)を点灯させるしくみになっている。交流100V用よりも24V用のランプのほうが効率がよく、色や輝度などでも優れているからだが、恒星投影機に内蔵した自作の電圧変換器(コンバーター)は、メインシステムから出される点灯信号を供給しなければ機能しない。もともと単独で使うことは考えていなかったからだ。したがって、単独で使う−設計外の使い方−をするには、点灯信号にかわるものを作って送り込むか、コンバーター自体に手を加えるしかない。しかし、信号発生器を今から作るのは骨が折れるし、大電力を扱うコンバーターに即席で手を加えるのはちょっと怖い。万一の間違いで、回路が一発でおしゃかになってしまうかもしれない。
そこで、100V用ランプにさしかえて使うことにした。ランプはうまいぐあいに実験用に買ったものが手元にあった。ソケットを改造して100Vランプに入れ替え、配線を外部コンセント直結にした。これでランプが点灯。星を映してみると、ちょっと暗めで色が黄色っぽい(冴えがない・・とでもいうのかな)のが気になるが、このさいしかたない。
なんとか恒星投影機の改造は完了し、まがりなりにも全天の半分、北極点の星空を投影可能な状態となった。恒星投影機を段ボールに積めて名古屋の会場に向けて発送、大学構内に保管してあったドームも同様に送ると、あとは電車で会場に向かうだけだった。
かすがい祭り
会場は開演前日の午後2時ごろについた。そこは市役所のホールだった。ガラス張りのなかなか立派な施設だ。風雨は完全にシャットアウトしていて問題ない。唯一心配なのは、ある時間帯にはガラスごしに直射日光が入ってきそうなことだった。
依頼者のイベント屋さんと初顔合わせをした。思ったより若い人だった。プラネタリウムのほかに、この祭りのいろいろな展示を一手に引き受けているそうで、準備に大忙しのようすだった。そこで、相手方が作ったというドームを見せてもらった。それは、化繊系の生地で作ったもので、僕のビニール製に比べて重量が軽いのに驚いた。「これはいい」その時はそう思ったが、いざ膨らましてみると、いろいろ問題点があることがわかった。結局、私のドームを使うことにした。けれど、輸送のトラブルでドームの会場到着が遅れて、準備日は先方で用意したドームを使うことになった。
プラネタリウムといっても星がただ映るだけでは間が持たない。そんなわけで、プラネタリウム以外にビデオプロジェクターやレーザーショウなどが用意されていた。ビデオプロジェクターは、ボイジャー探査機のLDで、それなりに迫力があった。けれども、なにぶん内容の打ち合わせなどしていない。プラネタリウムの番組と呼べるようなものにはならないが、ビデオ映像で観客を引き込んで、星を映し出して簡単に解説をすれば、それなりにさまにはなった。前日の作業はほぼ徹夜になってしまったが、これほどのドタバタにもかかわらず、翌日の開演日には間に合ったのは奇跡としかいいようがない。
上映はおおむね好評だった。プラネ製作者としては歯がゆい内容なのだが、思ったよりもビデオ映像とのマッチングはできていたように思う。なにより、8メートルドームはそれ自体でひときわ目立つし存在感がある。観客はいやがおうにも詰め掛け、毎回満員だった。
なんとか公演を終えることができた。ほんとうにどうしたものかと思ったが、それにしてはうまくいった方ではないかと思う。そして、投影機のクラッシュ以降、部分公演とはいえ、久々の上映となった。しばらく眠っていたアストロライナーは、しかしまだ生きている。今後の復活を予感させる意味でも、今回の公演にはそれなりの意味があったように思う。