IPSロンドン大会が開催
1998年6月28日から7月1日にかけて、国際プラネタリウム協会(IPS)の第14回総会が、英国ロンドンで開催された。IPSは、世界各国のプラネタリウム関係の団体、企業などの関係者を中心に構成している国際団体で、会誌Planetarianの定期的な発行をはじめ様々な交流活動を展開、プラネタリウム装置の新製品、技術、演出、番組、新しい活用形態の開拓など、活発な活動をおこなっている。そして、そのハイライトとなるのが隔年で世界各国の主要プラネタリウム館をホストとして開催される総会(Conference)である。世界各国のプラネタリウム主要関係者が一同に会する総会は圧巻であり、まさにIPSの華である。また、前回(96年)は日本の大阪で開催されたことは、日本のプラネタリウム関係者の記憶に新しい。そして今回のロンドン大会では、歴史的建物の中に最新鋭の投影設備を誇る「ロンドンプラネタリウム」がホストとなり、ロンドン市内の大会議場NewConnaughtRoomsをメイン会場として、盛大な会議が開催されることとなった。
96年大阪大会で初参加
私がIPSに参加したのは前回の大阪大会(96年大会)が初めてだった。知人の薦めで最初はなんとなく入会、初参加をしたのだが、そのときの活発な雰囲気に私は一気に魅了されてしまった。やもすれば自己満足だけで井の中の蛙だった私の視線は一気に世界に拡がることとなった。
また、この場で、自作3号機ASTROLINERを発表、世界中の専門家の評価にさらされることとなった。個人の自作によるレンズ投影式プラネタリウム。世界最多を誇る4万5千個もの恒星の再現。独自のデジタル制御システム、独立型惑星シミュレーターなどを紹介し、日本の学生による究極の自作プラネタリウムをPRした。国際会議など勝手がわからなかった私は、どのような評価を受けるかまったくわからず、不安でいっぱいだったが、反響は思っていたより大きかった。しかし、当時ASTROLINERはすでに現役を退きつつあり、好評の反面、複雑な心境だった。そうした思いが、かねてから夢に描いていたコンパクトで運びやすい新投影機の構想へと結びつき、やがて、当初は作るはずのなかった夢の4号機ASTROLINER-2の計画がスタートすることとなった。96年8月のことだ。
ASTROLINER-2型プラネタリウム
ASTROLINER-2の最大のねらいは、小型軽量で簡単に運べるようにすることだった。前作ASTROLINERは確かに移動可能であり、計11回の移動公演を実現したが、大きさと複雑さゆえの運用の難しさも痛感することとなった。そうした反省が、次のようなASTROLINER-2のコンセプトを決めることとなった。それは
「解体せずに運べること」
「一人で持ち上げ、運搬が可能であること」
「普通乗用車で輸送可能であること」
であった。
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プラネタリウム[ASTROLINER-2]
大平貴之自作4号機。投影ドーム径16メートル。投影恒星数157万個。最微11.5等級。総重量35キロ。1球2光源32分割レンズ投影式の宇宙型プラネタリウム。 |
一方で、投影性能さらなる追求も省くことはできなかった。星空のリアルさは、プラネタリウムの永遠のテーマであり、その上にたち、さらなる微光星の追求はそもそも私のプラネタリウム製作の信念もある。それは、本物の夜空がもつ永遠の深みを人工の星空に再現するためである。しかし、それは口で言うほど簡単なことではなかった。
最大の難題は、膨大な微光星を正確に再現することだった。その課題を解決するには、これまでとは全く別次元のハイテクノロジーが必要とされた。しかし、ついにに11等級までの恒星およそ150万個をあますことなく再現することに成功したのだ。天の川すらすべて恒星の集団で再現するという究極の試みは、これまでいかなる人工宇宙でもおこなわれなかったものだ。それが、ZEISSでもGOTOでもMINOLLTAでもない、全くの一個人によって行われたのである。つまり、私にとってASTROLINER-2とは、最新の宇宙型プラネタリウムとしての機能を備えながら、究極のリアリティと機動性を三位一体で併せ持つ、文字通り世界最高性能をもつスーパープラネタリウムにほかならなかった。
ASTROLINER-2の開発と製作
96年8月にスタートした計画は、最初から98年ロンドン大会に照準を合わせたものだった。期間はわずかに2年弱。しかも会社員の私にとって、実質使える時間は毎週土日曜日の2日しかない(しかし土日だけでもほぼフルに使えたのは恵まれていたといえる)。
4年を要した前作ASTROLINERのわずか半分(実質それ以下)の期間で、はるかに高性能な新型機を如何に完成させるか?まず重視したことは、設計製作の合理化、そして機能の取捨選択だった。レンズ式恒星投影機の基本的なノウハウは確立していたので、その点前回よりも楽だった。光学、メカ、電気系のいずれも、すでに修得、確立したノウハウのもとに進められた。そして本体の基本設計をきわめて初期の段階で完了し、全体像を明白に描き出したことは「完成してみて、初めて実物を知った」前作とは実に対照的だったといっていい。部品管理や手配をオンラインで行うなどの効率化を進めた結果、無駄が大きく減り、作業のスケジューリングが的確に行われることになった。機械加工の外注率を高めたことは、コストの増大を招く面もあったが、期間短縮にはこの上なく有効だった。そしてクオリティの向上にもつながった。
投影機の製作が滞りなく進む反面、恒星原板の開発は困難の連続だった。開発を97年11月にスタートし、4ヶ月で完成、トータル半年で32枚の原板を完成させるもくろみは、相次ぐトラブルにもろくも崩れ去った。さまざまな段階で問題が発生した。1ミクロン以下、細菌に匹敵する超精密な穴を、大きさを正確に分類して高速、高精度であける技術の開発。しかし光学系、機械系、電子回路、ソフトウエア、温度管理、空気中の埃、薬品への不純物の混入・・・・多分野にわたる様々な問題。そして、それらひとつひとつの難易度が、それまで経験したものと全く別次元のものだった。
相次ぐ失敗に限られた材料は次々に減っていった。ロンドン大会というタイムリミットを目前に、焦りは募った。実に10日前になって、ようやく原板を完成。しかし材料が不足し、天の南極付近の数面が欠け、さらに他の面もばらつきが残るという状態でのことだった。
しかし、大会への出発2日前にようやくすべての組立が完了。夢の4号機は、まがりなりにも静かにロールアウトしたのだった。
発表の準備
もうひとつの問題が英語だった。前回の大阪大会では、日本国内だったら日本語発表が認められ、会場側で通訳がついた。しかし今回は違う。発表はもとより、すべてのコミュニケーションは英語が要求される。中学生のころから英語を勉強してきたとはいえ、英会話はほとんどダメな私にとって、国際会議というフォーマルな場で英語発表することは無謀以外の何ものでもなかった。
通勤の合間にCDを聞いたりといった学習が続いた。たしかに効果はあったが、とても会話ができるレベルにまでいかない。自分自身の集中力のなさを思い、焦りが募るばかりだった。
そんな中で、私にとってこの上なく心強い力となって下さったのが、NiftyserveのFSPACEで出会ったAKOこと池田さんだった。最初は、当ページの英文を見ていただいたことから始まった。表現のおかしさに呆れられた池田さんは、見るに見かねて修正して下さったのだ。そのうち、今回のロンドン大会への遠征について話すうちに、原稿の添削などをして下さるようになった。発表を目前に、発表練習にもつきあって下さった。巧く話そうとしないでゆっくりはっきり話すこと。アクセントを直すこと。単数複数を注意すること。そして、表現に至るまで、徹底した指導をして下さった。そして最後に「大丈夫!」と励まして下さった。私にとってどれだけ貴重で、強い力になったか計り知れない。
最後の仕上げ
出発の3日前まで、投影機は段ボール箱に納めて持っていく考えでいた。ちょうどいい大きさの箱が手元にあったからだ。しかし、段ボールでは強度の不安が強く残った。仮にも主さ30キロの機材をこんなものに入れて大丈夫だろうか?横倒しにされたらどうなる?
前々日になって、木箱を作ることにした。箱の設計はわずか10分で行い、決めた部材寸法をもとにホームセンターで木材を切断、それを組み立てた。半日で箱が組み上がり、投影機を収納した。
気になるのは重量だった。非常に割高の航空割り増し運賃をおそれ、木材は極力薄いものを使い、軽量化を心がけた。しかしそれは同時に強度を弱めることにもなった。箱を閉めても、いまひとつ不安だ。その後、いろいろな補強をして何とか輸送できるようにしたのは実に前日午後のことだった。しかし、横倒しにされるのは怖い。箱には横倒しにされないように注意書きをしておいた。本当に大丈夫だろうか?
夜になって、家族や同行の友人も手伝ってくれ、名刺や資料の印刷などの最終準備をした。荷物の梱包を終え、最後の投影テストとピント調整をした。午前3時。出発の4時間前のことだった。
出発
いよいよ出発だ。父が成田空港まで車を運転してくれた。私と同行の友人。荷物はお互いの旅行トランクと、そして投影機の木箱。成田に到着。ロビーで荷物検査や航空券の発券を受けた。こんなものを持って本当に飛行機に乗れるのか?搭乗拒否にあったらどうしよう。以前から不安があったが、幸い問題はなく、ほぼ覚悟していた超過料金さえなくてすみ、そのまま飛行機に乗れることになった。こうして、6月26日午前11時。ヴァージンアトランティック航空VS901便は、我々と、仕上がったばかりのASTROLINER-2投影機を載せて成田空港を飛び立った。
とりあえず着いちゃったけど
空の旅は13時間だった。飛行機の中で眠ろうと思ったが、寝不足にもかかわらず、緊張と旅慣れないせいでなかなか熟睡できない。英語の練習テープを聞いたり、窓の外を見たりして時間をつぶした。
現地時間の午後4時。下界をみると、初めてみるロンドンの街が見えてきた。赤い屋根の煉瓦の建物が連なる街。やや乱気流の中、飛行機は高度を落とした。ぐんぐん近づいてくる町並み。やがて、乱気流の中、一回のバウンドの末、機体は滑走路に着陸。こうして我々を乗せたエアバス機はロンドン・ヒースロー空港に到着した。
空港に着いた後、最初の心配はいうまでもなく投影機だった。ちゃんと無事に出てくるだろうか?受け取り口で流れてくる荷物の中に、青い箱を発見!しかし、そのとき、横倒し禁止の注意書きに何の効力もなかったことを知った。「うわあああ!横になってる横になってる!」あわてる二人組。箱をとりあげた。大丈夫だった。壊れていなかった。しかし、いきなり先が思いやられる。
現金の両替などを済ませ、タクシーに乗り込んでホテルに向かった。英国のタクシーは大きくて荷物を載せやすい。噂には聞いていたが、投影機とトランク2個を苦もなく載せられる積載力に感動。日本でもこういうのがあればいいのに。
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ホテルの中のASTROLINER-2投影機
ホテルについて箱をあけてみた。こんなところまで本当に持ってきてしまった・・ってかんじ |
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電源テスト
ホテルのコンセントで通電テスト。英国の電源電圧は240V。通電は正直こわい。しかし何事もなく正常に動作した。 |
そしてTavistockホテルに到着。いよいよ来た。ホテルの予約だいじょうぶだろうな。ここに来て不安が募る。大丈夫大丈夫!大丈夫じゃなかった。予約は入っていないという。そんなばかな!
調べると、予約は明後日からになっていた。どこでどう間違えたのか。自分のミスか相手のミスか分からないが、とにかくこのままでは泊まれない。どうしよう。いきなりお先真っ暗である。
なんとか頼み込み、宿泊予定を変更してもらうことができて助かった。しかし、いきなり御難続きだ。ほんとうに大丈夫だろうか?
とにもかくにも部屋に到着。荷物を置き、ベッドに腰をおろす二人。来ちゃったよ。本当にきちゃったよ。こんなところまで。妙に気が抜ける。勝手のまったく分からない異国まで、プラネタリウムなんぞを持ってきてしまったよ。しかし、これからとりあえずどうしようか?
機材の点検
投影機は大丈夫だろうか?何より心配だ。特に気になるのはさっきの着陸のショックだった。箱を開ける。外観は異常がない。通電してみよう。アダプターをつけてコンセントに接続。ところで英国の電源は240V。じつはこの電圧をつなげるのは今回が初めて。市販の電源ユニットだから大丈夫なはずだが、本当に大丈夫だろうか?やはり怖い。
しかし問題はなかった。ランプも点灯。次にモーターを回してみよう。しかしそこで問題が出た。日周軸が回転しないのだ。なぜ?
赤道カバーをはずして点検したところ、原因が分かった。中間軸のネジがゆるみ、空回りしていたのだ。やはりさっきのショックが原因か。六角レンチで締め直すだけでいい。しかし、その六角レンチがない。忘れてきてしまった!
とりあえず散策
まあまずは街に出てみよう。友人と二人で手荷物だけ持ってまわりを歩いてみることにした。初めて歩くイギリスの街。古い建物が多く、歴史的な感じだ。しかし反面、いろいろな店があり、コンビニもある。日本語の案内が出ている店さえある。いろいろなものが手に入る。さすがは英国の首都ロンドン。たいていのものは手に入りそうだ。しかし問題は六角レンチだった。
ヘキサゴンキー
工具屋さんなんてあるかな?いろいろ街を回ったところ、唐突に一見それらしき店を発見。店に入ると、ドライバーやスパナの類が置いてある。見込みアリ。けれど「六角レンチって英語でなんていうの?」
レンチ、レンチと連呼する私。怪しい東洋人である。店のおじさんは首を傾げる。なにやらいろいろ出してくれるが、プライヤーのようなものばかりで六角レンチにはほど遠い。
"It look like as alphabet L(アルファベットのLに似た形です)"
我ながらわけのわからない英語を駆使してなんとか説明を試みるが店のおじさんはちんぷんかんぷん。「ようしこうなったら奥の手だ!」メモ帳を取り出し、ペンでおもむろに絵を描く私。こう見えても多少は絵に自信ありな私。少しいびつだが、何となくそれっぽい絵が描けた。どうだ?するとおじさんは店の奥に引っ込んでしまい、代わりに詳しそうな兄ちゃんが出てきた。兄ちゃんにもういちど絵を見せる。兄ちゃんは無言だが何かひらめいたように店内をあさった。そして取り出してきたものは、紛れもなく六角レンチだった。やったぜコングラッチュレーション。必殺技は無敵だった。絵に国境は存在しないのだ。そして、英語でなんと呼ぶのか?品物にはこう描いてある。「Hexagon
Key」六角(Hexagon)まではあっていたが、レンチではなくてキーなのだ。あちらさんでは。なるほど。納得できてまたまた嬉しい。メイドインイングランドの六角レンチを手にして怪しい東洋人、大平は大満足である。こうして到着日26日は過ぎていった。
一日フリーデイ
会議の開催は28日から。つまり27日は一日まるまるフリーだった。私は発表練習をしたいが、友人は観光に行こう行こうとせっつく。もちろん観光も考えているし、この日はそのために割り当ててある。観光名所さがしは彼にまかせてある。彼の案内で、共にロンドンの街に繰り出すことにした。
市内の美術館などを回ったあと、おみやげ屋さんを何軒か回った。本来おみやげは旅の後半で買ったほうが気分が出るが、今日買ってしまわないと、もう買うチャンスはないかもしれない。定番としてハロズ(有名なデパート)に行き、店内を回り、土産物を探し回った。
初顔合わせ
28日。いよいよオープニングセレモニーの日。セレモニーは夕方からだが、予定表を見るとビジネスミーティングが午前10時からと書いてある。なんだろう?自分が参加すべきものかもわからないが、主催者とも挨拶しておきたいし、とりあえず行ってみることにした。
会議場につくとわずかな人の気配。受付にIPS関係の者だがどこへ行けばいいかと訪ねたら、一つの小さい部屋に案内された。人の気配がない。暫く待つと、何人かの人々がぞろぞろ入ってきた。見慣れない顔ぶれ・・IPS関係の人々か?
勝手がわからないまま暫く黙っていると、「ミスターオーヒラ?」と唐突に声をかけられた。気さくそうな笑顔の中年の女性。どこかで見覚えがある。そして、話で思い出した。前回の大阪大会で出会った移動プラネタリウムコミュニティーの主催者、スーザンレイノルズさんだった。私は、挨拶のあと、今回のロンドン大会のまとめ役、アンディーン・コンカノン女史がどこか尋ねてみた。
「あなたの移動プラネタリウムのことは聞いています。楽しみにしています。あ、コンカノンは下のフロアにいます。いまこちらに来るそうです」
メールでは何度もやりとりのあったコンカノン女史に初めて会った。機敏そうな年輩の女性。ロンドンプラネタリウムの館長である。
コンカノン女史は唐突に尋ねてきた。「あなたが前問い合わせてきた箱のサイズの件ですが、どのくらいの大きさがいいですか?」
投影機の地平線高さ合わせ用の台のことだ。私はつたない英語で答えた。「ドームの形がよくわからないのですが、たぶん50センチくらいがいいと思います」
分かったような分からないような。しかし結論から言って、これから始まるミーティングは、私が出る必要のないものだった。IPS運営サイドの代表者会議だったのである。(さらに後に聞いた話によれば、このとき、すでに決定済みである次回のモントリオール大会に続き、その次の2002年大会がメキシコシティに決まったそうな)。なんだか場違いなところにひょっこり現れてしまった体であるが、とりあえず挨拶はできたし、用件も伝えられた。怪しい東洋人はひとまず退散。あとは、夕方のオープニングセレモニーを待つだけだ。しばらく時間が空いてしまった。ホテルに戻ると、友人は観光に出かけて行ってしまっている。しばらく練習をしていよう。しかし、ちょっとだけIPSらしい雰囲気に再び触れることができた。
オープニングセレモニー
夕方、ふたたび会議場へ。朝とはうってかわって実に多くの人たちが挨拶を交わし会っている。前から参加すると伺っていた葛飾区立科学館の新井氏や、杉並区立教育科学館の伊藤氏ともお会いできた。
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GRAND HALLでの開会式
なんだかすごい雰囲気。外人さんがしゃべってる。英語だ!何を言ってるかわからん。ええっ、ここでホントに発表するの?ビビるな大平。どんといけ!でも・・・ |
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開会演説するIPS会長 Thomas Kraupe氏
この演説よりIPS98総会が開始!。Kraupe氏とはストーンヘンジで少しだけ話す機会があった。次回の会誌でASTROLINER-2の成功をレポートしてくださるそうだ(そんな風に言っていたと思う・・(^^;;))。 |
そして、96年大会で出会った海外の知人とも多く再開することができた。「Nice
to see you again!」再会を喜び合った。しかし反面、再会したいと思いながら顔を見つけることのできない人も何人もいて残念な思いもした。まあ、別の機会にまた会うこともできるだろう。
やがて、プレジデントのクローペ氏による開会の挨拶。IPS98、ロンドン大会がいよいよ始まった。それは、私が2年前から照準を合わせ、準備にいそしんできた正念場だった。
星が100万個だって?
オープニングセレモニーをただの楽しい飲み食いの場と考えているようでは、甘い。一人で黙々飯をほおばっていたければそれもOK。しかし国際社会では生きていけない。気楽に飲み食いしているようで、お互いの初顔合わせ、出方のさぐり合い、宣伝の場でもある。サバイバルがすでに始まっているのだ。
私のプレゼンは明日である。会場で配られた目録にはもちろん書かれているが、概略程度であるし、うっかり見落とされそうなスペースだ。ほとんどの人はそれがどんなものかを知らない。つまり、この場でいかにPRするかが、明日の成功の命運を分けるわけだ。
かといってあせっては逆効果だ。まず、しばらく観察し、私なりにその空気を感じ取った。そして次のアクションに移ることにした。しかしやみくもに人に話しかけるだけが能ではない。だいいち、ただでさえ言葉がたどたどしいのに、いきなり話しかけても煙たがれるのがオチである。けれど、前回の大阪大会を通じて多少の面識はある。まずはそういう人たちを通じて、話の輪を広げるのだ。
前回会った人、今回初めて会った人に、私は、明日、超小型ながらずばぬけた性能をもつプラネタリウムのデモが行われることを宣伝した。こういうとき、日本人的には「つまらないものですが、見てやってください・・」とやるところだが、ここは違う。むしろオーバーすぎるほどに、臆せずにPRするのだ。このへんも、英語のプレゼン練習で池田さんにたたき込まれたことでもある。
プラネタリウムの投影機に関して説明すると、たいてい次の質問がくる「How
many stars?(星はいくつだ)」そして、これこそ待ってました、という質問なのである。
私は答える。
「1 million!(100万個だ!)」
この答えを聞くと、誰もが一様に首を傾げる。我が耳を疑うように。また、私の日本訛りも手伝って、まずは聞き間違いかと思うようだ。
「Sorry, pardon?(すみません。もういちど)」
「1 million. It reproduce stars
down to magnitude 11(100万個だ。11等級まで投影している)」
相手の顔は時に困惑であり、驚きである。日本の女子高生的に訳すると「ええええっ、なにそれぇぇ」といった感じだろうか?
無理もない。普通のプラネタリウムでは、先のRS社の製品もそうであったように、数千個から、せいぜい1万個程度。星数の多さをうたう大形の最上位機でも、せいぜい2万個から3万個程度なのだ。100万個という値(実際には150万個)がいかに桁外れで信じがたいものか、理解していただけると思う。
やっと信じてもらうと、その先はいろいろな話の展開がある。中には孔の直径を聞いて、すぐに"diffraction(回折)"効果の影響を気にする人(大学教授、やはり物理屋さん)
がいた。回折効果を考慮して孔の径を補正してあると説明したらすっかり納得してくれた。しかし、たいていの人はそもそも、そこまでの必要性を疑問に感じるようだ。「なぜそんなに多く投影するのだ?」という質問を返してくる。私は、できるかぎり説明する。「天の川には無数の暗い星が含まれている。にもかかわらず我々の目に見える。その天の川をリアルに再現するには、暗い星を実物同様に再現することがベストである」と。
実は、ある面意外なことでもあるのだが、このあたりの考え方は、日本人のほうが素直に受け入れやすかったようだ。ある日本人の技師からは、100万個というと、「それはいい。天の川までばっちりですね」という答えが帰ってきた。一方、欧米的には、肉眼で見える限界とされる6等星まで再現すればそれで充分、という考えが普通のようだ。肉眼で見えない星まで映して、天の川や背景の深みまでもありのままに再現したいというのは、繊細さに価値を求める日本人的気質のなせる技なのかもしれない。
だから欧米人への説明はむつかしい。しかしそれゆえ価値がある。欧州生まれのプラネタリウムの世界に、日本的な考えを主張し、それが如何に有効かを知らしめるのだ。明日は実物をもって実証することになる。そして、まさにそのためにこそ、はるばる日本からやってきたのだ。
まずまずのPR
移動式、レンズ投影で100万個の星が投影できる。人の反応は様々だったが、それははたしてどんなものか?興味をもってくれた点では共通していた。「とにかく明日、デモをする。それを見てほしい」「時間は何時だ?必ず見にいく」広い会場で、私が話をできたのはほんの一握りだったが、私の宣伝効果はまずまずだったと思う。オープニングセレモニー。前哨戦はまずまずの戦果だった。
2日目。発表当日
いよいよ本会議がスタート。会議といっても、全員が一同に会して討論するわけではない。細かいテーマ別の分科会に分かれてそれぞれ発表や討論をしあうのだ。その中で、私は大ホール内に特設されたエアードームで発表とデモを行うのだ。
ホテルから投影機を会場に搬入した。木箱に納めたままだが、行き交う人は「これがあなたの投影機か?小さい、コンパクトだ」と口々に言った。
会場には2つのドームが設営されていたが、私がデモをするドームはこれからさらに建てられるものだという。そのうち、そのドームの制作者、レイ・ワーズィ氏にお会いした。とても人当たりのいい、気のよさそうなおじさんだ。
ワーズィ氏は、私を奥の倉庫のような部屋に案内し、まだ折り畳んだままのドームを見せてくれた。6メートルのエアードーム。自慢の生地を説明してくれた。光の反射率が高く、それでいて遮光性もある。
私の反応に気を良くした氏はまた、自身の発明になるという負圧ドームなるものの写真を見せてくれた。ふつうのエアドームは正の圧をかけて膨らませるが、これは逆に吸い込むことで膨らませるものだ。これによれば、出入り口のエアロックが要らず、自由に出入りできる。とてもおもしろいアイディアだ。写真のドームは直径6メートル。フィンランドに設置されているそうだ。
いよいよ発表の時は近づき、このドームも設営されることになった。てきぱきと作業を進めるワーズィ氏を手伝う私たち二人。やがてドームが膨らんだ。2層構造の開放型エアドームだ。
ワーズィ氏は我々をドーム内に案内し、各部の説明をしてくれた。遠心式で光の通らない送風機、内圧を調整するための排気口。そして排気口の外はトラップになっているのは、光が入ることを防ぐと同時に、外側に風がいきなり吹き出すことを防ぐためだそうだ。なんと、外を歩く女性のスカートがめくれてしまうことを避けるためだそうである。なんともやきめ細かい部分に配慮された完成度の高いドーム。感嘆する私。見習うべき部分は無数にある。中の遮光性もきわめてよく、ほとんど光漏れがない。ばっちりだ!
このドームで、まずはフランス製、RSオートメーション社の移動式プラネタリウム投影機のデモが行われた。ピンホール式の投影機で星がおよそ4000個。明るい星はレンズ投影され、像はなかなかクリアで明るい。そして全体が専用のハードケースに入れて運搬できるのがウリである。手動ながら惑星や月投影機も備えられている。必要な機能は余すことなく装備されている。そうしたあたりは、さすがに販売している商品である。
しかし、恒星投影機の能力に関しては我がASTROLINER-2の敵ではない。RSオートメーションのデモが終わり、いよいよ自分の番だ。32分割レンズ投影、恒星数150万個。最大ドーム径16メートル。最高速30rpmデジタル仮想目標値制御。いかなる大形プラネタリウムをも遠くしのぐ圧倒的なスペックを誇るモンスターマシンが、いよいよ国際舞台でヴェールを脱ぐときがやってきたのだ!
え、いきなり本番?
それまで、ずっと木箱に納めたままだった投影機を、初めて人目にさらす時がきた。箱のふたをあけた。周りのざわめき。「これがあなたのプラネタリウムか?」個人が運び込んだ小型の移動式ときいて、おそらくは簡単なピンホール式を想像していたであろう周囲の人々。最先端の球形レンズ投影式のそれを目の当たりにして、驚くのも無理はない。しかし、ASTROLINER-2の本当の実力はまだ明かされていない。本当に驚くのはこれからである。>
しかし発表開始のタイミングは予想だにしないものだった。これまでの事務局との打ち合わせで、前の発表が終わったあと、40分のインターバルがあり、その間に投影機の設営と調整を行い、そのあとデモをすることになっていたのだ。予定時刻の30分前。投影機を納めた木箱をドーム内に搬入した私を待っていたのは、しかし大勢待ちかまえている観客だった。
最初、この人たちは前の発表を見終えて一度ドーム外に退場するのかと思っていた。しかしいっこうに出て行く気配がない。こんなところで調整を始めていいものだろうか?とまどう私に「(Begin!)さあ始めてください」の声。ええええ、なにそれ〜、まだ何も準備してないよ!
「予定時間はまだ後のはずだ。今から始めてしまっては、予定通り来た人が見られなくなってしまう」私は説得を試みた。しかし「今すぐ始めれば予定時間までに終えられる。そのあとまたもう一度やればいい!」の声。「あなたの発表を見たがっている人は大勢いる。とてもこのドームでは一度に入りきれない。ちょうどいいじゃないか」英語だからよくわからないが、まあそんなようなことを言われて、おだてられるのも悪くない。けれどなにも準備しないで、なにも調整しないでいきなし始めるの?それに、ココロの準備ってもんが…・そんなチンケな日本人の論理など通用しないのだとそのとき知った。あの時の事務局との打ち合わせっていったい…ガイジン恐るべし。
そうして、有無をいわせずにいきなり本番スタートさせられることになった。いきなり調子を狂わされて、しかし大平貴之、うろたえるな!いまは行くしかないぞ!
スライド投影機と投影機のセッティングも完了。ビデオ撮影もスタート。私は原稿を手にして一息ついた。
"What if
planetariums can reproduce 1 million stars?"
(もしプラネタリウムで100万個もの星が投影できたらどうでしょうか?)
"What if
such planetariums can be transported freely?"
(そんなプラネタリウムが自在に持ち運べたらどんなでしょうか?)
「I came
here to present an answer to these dreams.」
(私はそんな夢に答えるため、ここまでやって来ました)
そんな問いかけから私のプレゼンは始まった。 |