MEGASTAR製作日誌(2008年3/30)


リアルさ
いつからだろうな、メガスターはリアルだ、とか強調しなくなったのは。

真にリアルなプラネタリウムなんて存在しえないし、意味もない。元も子もないが、それが最近の結論である。それはドームの視差だとか、解像度だとか、そういうことではない。もっと本質的なこと。

メガスターひとつとっても、最初の頃は、リアルだと言わんばかりに、1等星と11等星の光度比を、ポグソンの法則(1等級で約2.5倍の光度比)通りに作ったわけです。照度計で測ると、正しい。なのに何かおかしい。何故か?そこから紆余曲折あって、それなりの考察あって今がある。というより現在進行形だ。これ一つとっても、リアルさを追求するというのは一筋縄では行かない、いずれそれ自体が大きな矛盾を孕んだ事だということが分かってくる。

 結局、目的が何かにつきるのだ。何を伝えたいのか?表現したいのか?その違いによってプラネタリウムは様々な形があり得るし、一つの正解なんてない。だから各社の作るプラネタリウムには様々な違いがあるし、たとえ現在のデジタルとアナログの全てを超えた究極のテクノロジーが実現したとしてもなお、これだ、という理想型は定まりようがない。
つまり、

「リアルが良いなら、つまりプラネタリウムなど必要ない。本物と違うから価値があるのだ」

どこがリアルなのか、ではなく、本物のどの側面を切り取り、どこが本物と違うのか?そこに作り手の意志が現れるし目的が活きてくる。値打ちが出る。何をするか?技術者なら、やはり道を切り開く存在であり続けたい。誰も踏み込んだことのない地平線を切り開き、あとで人が追いかけてくるような。
そこにこそ、人間がプラネタリウムを作り、動かす意味があるのだから。