HISTORY〜メガスターIIの歴史


メガスターIIの誕生

1998年、IPS(国際プラネタリウム協会)ロンドン大会で世界を驚愕させ、2000年には国内で初公開され、人工宇宙の新たな境地を切り開いたスーパープラネタリウム「メガスター」。しかし、メガスタークリエイター、大平貴之はそれで歩みを止めたわけではありませんでした。あくまで本物の星空をめざして、メガスターのを継承・発展させた、次世代機を構想開始したのです。
 そして、2003年、極秘に開発された最新機がいよいよヴェールを脱ぐことになりました。日本を代表するとされた旧五島プラネタリウム、渋谷東急文化会館8Fドームにて開催された、閉舘イベント「MEETS」で、初めてそれは公開されました。
それが、在来メガスター比3倍となる投影恒星数410万個、20mのドームを余裕で埋め尽くす大出力、そしてメガスターならではの機動性、ポータビリティを併せ持つ、メガスターIIの記念すべき1号機「フェニックス」です。


その名は「不死鳥」

 「フェニックス」とは、不死鳥。当時、各地で閉館が相次ぎ、斜陽と言われていたプラネタリウムの”復活”を願う意味で命名されました。そのマシンの外装は、特殊塗装で真っ赤に輝いていますが、それは復活の炎をイメージしたものです。プラネタリウムの外装色は、一般的には黒や青系の色が一般的だったので、、真っ赤なプラネタリウムは、見る人を驚かせ、星の数がメガスターのほぼ3倍に達していたことから「”通常の3倍”の赤」として一部の人々の間で話題にもなりました。プラネタリウムの復活。その願い通り、フェニックスの公開はたちまち話題を呼び、かつて閉館したその地に、わずか3週間で3万人以上もの観客を動員し、いち早く、プラネタリウム復活ののろしを上げました。それは、その後、誰もの予想を超えた展開を切り開くことになる、スーパープラネタリウムにふさわしい門出でした。(現在、メガスターIIフェニックスは、川崎市青少年科学館で公開されています)


時間を超えたメガスターII

メガスターIIフェニックスは、その後すぐに、プラネタリウム革命の片鱗を示すことになりました。横浜ランドマークタワーで開催された、松任谷由実らとのコラボレーションイベント「Ancient Stars」では、ロイヤルパークホテルの大宴会場を荘厳な星空で満たしたのです。しかも、光学式プラネタリウムでは前例のない、50万年前の星空の再現という離れ業で、です。この日だけのために専用に製作された恒星原板を搭載し、デジタル映像をも駆使してのタイムトラベルは、松任谷をはじめとした千人の人々を、人類生誕の悠久の時へと運びました。これは、同時にドーム空間以外の大空間でも活用しえる、メガスターIIならではの新アプリケーション開拓の第一歩でもありました。

原点の地へ

大平がプラネタリウムに初めて見せられた場所。それは川崎市の多摩丘陵に位置する川崎市青少年科学館。ここにあるプラネタリウムが、いわば大平のプラネタリウム人生の原点ともいえる土地でした。2003年11月、大平の星空が、初めて星空に憧れた土地で公開されることになりました。川崎市青少年科学館でのメガスターII特別公開です。
 在来機の横に仮設で併設されたメガスターIIは、遙かにコンパクトながら、圧倒的なまでのリアリティの星空で観客を魅了し、通常時4倍という驚異的な動員を記録しました。その後、翌年にも同様のイベント開催を経て、2004年4月から、メガスターIIフェニックスは、この科学館で、事実上の常設ともいえる、通年公開が開催され、現在に至るまで好評を博しています。


デジタル映像技術との融合

410万個の星。人はそれだけで魅了され、それにむつかしい理屈は必要ないのかもしれません。しかし無限の星空を素材とし、そこに新たな映像表現をつけ加えることができれば、星空の表現力はまさに掛け算のように遙かに広がるのです。大平は、かねてからデジタル映像技術の可能性に着眼し、メガスターとの連動を模索してきましたが、2003年の冬にその成果が花開くことになりました。
「星空の贈りもの」では、大平の独自開発(協力:NECビューテクノロジー((株))になる全天周映像システム「OGDS」をメガスターIIとともに初公開、その自己コラボレーションによる、新たな世界を描き出す事になりました。サウンドプロデューサー、井出氏による立体音響のもと、410万個の星と、これもまた大平が制作した雪空やオーロラのCG映像が星空と見事な調和を果たしました。この星空の贈りものはその後、ソニーエクスプローラサイエンスでも移植されて上映されています。

2号機の誕生

この時点ですでに需要が切迫していたメガスターIIが、その後フェニックス1台で足りなくなることは目に見えていました。実はメガスターII計画は、当初よりその状況を見越して2台の制作が計画され、2003年の夏には2号機の完成の予定でした。ただ、予想以上に貸し出しや公演が過密になったことで制作スケジュールに遅れが生じ、完成は翌年にずれ込むことになったのです。年が明けた2004年の1月、福岡にある三菱地所アルティアムでの展覧会にて、待望のメガスターIIの2号機、ミネルヴァが初公開されました。ミネルヴァは知性の神の名。叡智をもって星空の世界を切り開くことを意味しています。外装色も、フェニックスの赤系と大幅に趣を変え、落ち着きつつも鮮やかな青-紫系。フェニックスと同様の特殊塗装「マジョーラ」を採用しています。その後、フェニックスが川崎市青少年科学館に通年公開となったことで、このミネルヴァがこの後しばらくの間、事実上、唯一の移動公演用機として各地を飛び回ることになりました。


世界一の星空として認められる

メガスターIIは様々な話題になり、これまでのプラネタリウムの常識を打ち破るクオリティはさらに多くの人に認められる事になりましたが、さらにそれを後押しする事が決まりました。英国から一通の通知が届いたのです。"The World's most advanced planetarium projector is MEGASTAR-II-cosmos" 。それは、ギネスワールドレコードによる、メガスターIIcosmosが世界一先進的なプラネタリウムであるという認定証でした。それは、いうまでもなく、メガスターIIが世界で最も多くの星を、最も遠方の星を、、もっとも広がりある宇宙像を再現できるプラネタリウムであることはもちろん、そのコンセプトと技術が、世界で最も優れているという証でもあるのです。メガスターIIは、名実共に世界一のプラネタリウムとなりました。


高出力化で演出の世界にも

これでもまだメガスターIIの革新はとどまることを知りません。日本科学未来舘などの常設館を経ても、なお新しい活用への取り組みは続いていったのです。KIRORO、バンプオブチキン、ナナムジカといった音楽アーティストとのコラボレーションライブ、そして映画館でCMと連動して上映されたシネアドプラネタリウムなどでは、特別に高出力化改造されたメガスターII特別仕様機が使用され、これまで不可能であった空間演出を可能にしたのです。また、テレビの世界でも不可能を可能にしました。これまで暗視カメラでなければ撮影が難しかった星空が、高出力化により、通常のテレビカメラで撮影可能となり、テレビスタジオでの星空演出という新しい世界を切り開いたのです。フジテレビ特ダネ!では大平自ら生出演してその星空を紹介し、またTBS「情熱大陸」などでも星空演出マシンとして威力を発揮しました。