プラネタリウムスピリット(10)

米国の対イラク攻撃姿勢について

米国は大量破壊兵器の開発疑惑を持つイラクに対し、武装解除の目的のもと、強引な軍事攻撃をしようとしている。僕は、米国のイラク攻撃に絶対反対だ。 国連が査察活動を進めている中で、なぜイラクを爆撃するのか、その理由には説得力がない。

テロの脅威に対し、力で解決しようという短絡的かつ幼稚な手段は、必ず失敗するだろう。それは米国の国益に反するはずだ。
力による解決は、相手や周囲の反意を生むはずだ。仮にサダムフセインを追放し、アルカイダを全滅させ、テロリストを力でねじ伏せ、短期的に解決したとしても、力で屈服されられた者の敵意の炎は決して消えない。
敵意は新しいテロ集団となって、何度潰しても、何度でも何度でも、しぶとく蘇り、必ず米国に襲いかかるはずだ。ブッシュがいみじくも言っているように、予告なしに襲い掛かるテロに対して、100%の防衛などありえないだろう。それはソ連の核攻撃を避けるよりも難しいはずだ。
力でテロリストと対峙している限り、米国民は、いつ襲うか分からないテロに日々怯え、備えながら暮らさなければならなくなる。シャトルが落ちてもまずテロを疑わなければならない生活が尋常と言えるだろうか?それが米国の国益に適っているのだろうか?

僕には、ジョージブッシュは強いアメリカを体現しているように見えて、実はテロの恐怖に怯えきっている小心者に見える。怖くて仕方がないから、いたずらに軍事力という暴力を振り回して虚勢を張っているように見える。
ブッシュやその閣僚たちは、何故、テロリストがテロという行為を行うか一度でも考えてみたことがあるだろうか?誰が好き好んで、爆弾を体に巻いて自爆するのか?飛行機で自らもろともビルに突っ込んだりするのだろうか?
そしてもうひとつの疑念、中東の石油供給に少しでも関連しているとしたら、これは平和のための戦争でなく、れっきとした侵略行為ですらある。だとしたら、もはや論外だ。

ひとつだけ正当性があるとしたら、それは軍事攻撃を示唆しての査察活動の全面協力への圧力だろう。もしも米国が攻撃を踏みとどまり、しかしその軍事的圧力がイラク政府の査察協力を導き出すことに成功したとしたら、それは一定の評価はされるべきかもしれない。

しかし、度を過ぎた米国の横暴には我々は毅然と、反対するべきだと思う。
米国をパートナーと思うなら、なおさらその誤りに対してはっきり苦言を呈するのが本当の友としてあるべき姿だと思う。
だから日本政府の対応は本当に残念だ。
ただ従うのは、自分たちかわいさのエゴにすぎない。たとえ一時的に米政権の反感を持ったとしても、真の友情からくる助言はいつか必ず相手に伝わり、それは対等のパートナーとして受け入れられるはずだ。そうでなければ、たんなる下僕にすぎない。

憲法9条を持つ国として、米国の核の傘の下で平和と経済を発展させた国として、今、米国に対し、はっきりと、考えを改めるよう申し入れるべきだと僕は思う。

2003年2月15日